民族の誇りとか色々 | ha-gakure

民族の誇りとか色々

2011.10.20


しばらく動いてなかったが、メンバーも変わり、音楽性も変動期を向かえる今、扉を大きく開かねばならぬと思い、ここも動かしてゆく。
話は変わるが、橋本知事が朝鮮学校授業料無償化の条件として揚げた肖像画の教室からの撤去ね、教室からは撤去したけど職員室に掲げてあったから駄目じゃないかと議員さんたちが揉めてるようやけど、ちょっと気の毒な気がする。
金正日体制下、朝鮮総連の実質的な管理下にある状況で、金正日と無関係な教育を求めることは、あの狂犬のような体制下では無理だろう。
例えば自分が在米日本人として日本人学校に行っていたとして、日本人の誇りは教室に掲げてある天皇陛下の御写真によって満たされるものなのか、いや、それよりも日本語、偉大な英雄、素晴らしく濃厚な歴史、風土、風習、そういったものこそ誇りとなるのではないか。
朝鮮学校は、金正日体制という特殊な独裁体制監視下にある。よって先ず、金正日礼賛こそ必要な教育であり、彼を讃えることが民族の誇りなのだと教えざるを得ない学校側にも同情する。体制などいつ変わるかわからない、そんな即物的なものではなく、先人たちが残してくれた歴史、風土、言語という無形普遍の文化にこそ民族の依るべき誉があると教えられる朝鮮学校であればと常々思うが、やはり金正日の影響をゼロにするのは無理だろう。
そこへ向けて、無償化にするから金正日から手を引けというのは、祖国と縁を切れというほど重いことであろう。朝鮮学校側は、金正日体制が何より大切な民族の誇りと思うならば潔く無償化の依頼を断るべきであるし、日本にとって北の現体制が不都合であり、朝鮮学校に対し、金正日と手を切るなら無償化にしてやるというのはある意味仕方のないことでもあろう。しかし、どうにも気の毒な気がする。沖縄もそうだが、この朝鮮学校授業料無償化も同じく、なんとも言えぬ気持ちにさせられる。民主党というのは理想ばかりで、思いつきで相手をその気にさせて逃げる、ということばかりやってないか。今まで実現できないということは、それなりの複雑な歴史があるということを理解してほしい。その気にさせられた沖縄の方や朝鮮学校の子供達が気の毒である。
昨日夕方のA◯Cの番組のコメンテーターが、この問題に触れ、肖像画が職員室に掲げたままになってはいるが、そこまで指摘するというのは民族のイデオロギーを否定し、誇りを奪うことにならないか、そうまでして要求する無償化という問題が、引いては民族差別へ繋がるというのはいかがなものかという感想を持っている。
俺にとって民族の誇りというのは体制ではなく肖像画でもない。目には見えない先人たちのご苦労であり、気概なのである。
そういうことを教えるのが教育ではなかろうか、また民主党も、無償化という即物的な援助ではなく、天皇制の下、一億玉砕という催眠状態で国土を灰にした所から建て直した経験を持つ人間として、少なくとも日本に居住する総連や朝鮮学校指導者を時間を掛けて指導、導くことの方が余程必要ではないか。朝鮮学校に通う多くの子供達が肖像画よりも、民族服であったり、言語であったり、先人たちのご苦労への感謝の気持ちを誇りにし、同胞を飢えに導く現行体制にとても誇りを持っているようには思えないが、無理にでもそちらに向かわざるを得ない大人たちの苦悩を鑑みると簡単には解決できぬ沼のような気持ちになる。
本当に子供達が不敏に思う。
どうかこの子供達が夢を失うようなくだらない差別、不要な挫折を体験せず育ってほしいと願うニュースであった。