『終活』はクルのか? | ha-gakure

『終活』はクルのか?

2012.05.22


『終活』かぁ。「前向き」って言葉と同じくらい薄っぺらいな。
--------------------—趣旨はいいけど「終活」という言葉と響きが嫌い---------------–
終活とは(自分の)人生の終わりのための活動の略で、(自分の理想的な)最後を迎える為の事前に行う準備のことで、例えば葬儀の内容やお墓のことを事前に決めておいたり、財産配分が主目的である遺言とは別に、自分の思いや意思、願いを綴るノートを書いておくといったものがある。遺言状の場合、葬儀後に開封されることが多く、葬儀に対する願いを書いても希望が叶えられずに終わってしまう。
そこで事前に家族や業者に相談するといった終活をする人が増えている。
また、終活をすることで、死や人生を見つめなおすといった人も多い。
なお、終活はユーキャン新語・流行語大賞の2010年候補語60語にノミネートされた。
----------—「就活」で苦しんでる若人に対して無礼千万----------—-
俺はほんの少しだけラップが出来て、ブラックミュージック好きが昂じてトラック制作を趣味とする僧である。マイク持つ拡声者として、数珠を持つ覚醒者(嘘)として「終活」に対しては複雑な想いがある。
死期を悟って様々な準備をするのは素敵なことよ。
生前法名とか戒名とか言うて生きてる間に「覚悟」を腹に据える為に手継の坊さんから貰う人、今はもう減った。
それでも年間何人か付けてくれんか、という頼みがある。「はぁ〜このばあさんは偉い人やなぁ」と心の中で嬉しく思う。何が嬉しいかというのはね、毅然としてるというんか、覚悟決めてる人って何か嬉しくなる。そういう人がまだ居るんだ、という安堵感の嬉しさやな。
俺も死んだ後の法名あります。無料なんで(すんません下世話な言い方で)俺で良かったら真剣に考えて付けるでな、言うてや。
これね、みんな本人が死んだ後から坊さんが来て付けるんよ。
(まぁ最近は無宗教で葬式する人も増えたから法名や戒名なんて不要という人が増えてるのは事実)
話を戻す。
親族は分かるけど故人はどんな死後の名前が付いたかなんてわからない。
しかも、昔は坊さんとの距離も近かったから故人の人柄やら癖やら、ええとこ、趣味とかね、そういうのを総合して経典から最高にピタリと来る文字を見つけて法名にしたんやけど、もうそんな人も少ないよな。
俺は位牌は使用せんけど、位牌も印刷、戒名もまさかのパソコン一発サンプリングでガチャポン出て来るみたいにそれっぽい戒名出て来る時代やで。たわけやマジで。
自慢じゃないが俺は結構emoいと思う。初めて会う人は遺族に必ずヒアリングするし、家に帰ってからも納得出来る響き、意味、字面、総合的に格好ええ、ってなるまで考えるし、付けた意味や動機も手紙にして渡す。それが引導を渡す者のせめてもの死者へのリスペクトだからね。責任です。
出来たら、生きながらに死後の名を背中に刻み今を生きて欲しいとは思う。
一重に「死」を予感するからこそ味わえる「今」を生きるという趣旨が「終活」の醍醐味なんだが、とにかく響きが軽いから上辺だけの根っこのないイメージが先攻してしまいそうで寂しい。
----------------『死』は完全たる解放だ---------------------
娑婆で生きるということはとんでもなくリスキーなこと、というのが渡世の実体。
俺は明日車で誰かをひき殺す可能性がある。
お前は明日、愛おしい人にサヨナラを告げなきゃいけんかもしれん。
明日テポドンが落ちるかもしれん。
普段は水面下にあって目には見えない嫌なこと。
それは「予感」として常に見えたり見えなかったりしてる。
多くの人が脱出したがってるネガティブな思考ってのは当然の姿だろ?
むしろそれは正常なんです仏教的には。
生きることは「苦」がスタートラインだから。
だからなんーも前向きなんてならんでええんです。
そういう薄っぺらいキャチコピーに騙されないで。
もっとDOOPEにいっちゃおうや。
こういう仏教のスタンスが広く世に拡がっていったのは鎌倉時代。
当時は応仁の乱からの戦国時代で、飢えて犬を食い、人の屍を食った時代。着物を来てれば剥ぎ取られ命があれば儲けモン。生きてるだけで大変なことだったから人々は思い描いたのよね「極楽浄土」「西方浄土」を。せめて死後だけはええとこであっておくれ、という切なる想いやわ。
ここで大事なのは地理的に「ええとこ」があるんじゃないねん。結構「ここにあるんです」と胸を叩く坊さんも居るけど、心の中にある訳でもないねん。俺は思うんや。
どこにもないんや。
それは旅行の時の家みたいなもんや。
旅行は楽しいやろ?
「ソレ」があるから安心して飛べるみたいなんあるやろ?
帰る家がないのに旅行って言わんやろ。そういうのはホーローっていう。
目的地もなければ期限もない、帰る場所もない、道徳感も失い、自己愛にマミレ、平気で嘘をつく。
目はトロケて、トライも出来んし、変化も望まなくなる生ける屍となって彷徨う人生は出来たらさけたいのが人情。
「極楽」と「浄土」は分けてイメージする。
こんなにどうしようもなく薄汚れてもうた俺の人生、取り返しが付かんかもしれん、借りも一杯残して逃げるように生きて来た、今日までは。でもな、俺感じてるんや、今すげぇ感じてるんや、全部チャラにしてくれて、こんなどうしようもないゲス野郎を無条件で「おかえり」言うてくれる家のこと。アムロじゃないけど「俺には帰る場所があったんだ、ララアにはいつでも会えるから」ばりに。
「だったら、もう怖くないわ、安心してどこまでも逃げてやろー、っていう発想には行かないもんです。もしそれでも逃げるなら俺も言葉がない、しかし、そうはならんもんです。
そしてそこから何が起こるかと言えば大逆転やわ。
最後は「解放」されるんやから今は存分に戦ってやるわ!
そういうダイナミックな精神革命が起こった人の心の心境を「極楽」と申す。
ここに至ってこその終活だけど、棺桶に入る体験とか、夫婦で遺影撮影とか、疑似葬儀してもらうとか、何かが完全にブレてるしすれ違っていて違和感。
そんなことするくらいなら俺と一緒に西成の行き倒れのおっさんの親族誰も不在の火葬場で、俺が一人で短い経を上げてる姿を見て「あぁぁ!!家族ってなんて有り難い!」って家族やら今熱中してることに想いを注いでギラギラ、バキバキで生きてくれる方がええ気がする。
そもそも「生きてる実感」って何だろうか。
実感なんて感じなくて良いのだ、と思う。
だってこんなにリスキーな日々を生きてる。息てるだけで凄い勇者なのに、わざわざ棺桶に入って「あぁ〜生きてるって実感した」とか正常じゃありません。
今の世界は一体どうなってしまったのか。
むしろ、そっちの方が深刻です。
深刻といえば俺のケツも解放に向かっています。
今日は最後の診察やって、問題もなく終えて外のベンチに座ってたら、向かいの内科からお爺さんと、おばさんと、若い娘が出て来て、俺の隣で看護婦さんと家族がお爺さんに手術を受けるよう説得してた。
「おじいちゃん、楽になった方がええでしょ?」
「せやよ、先生も手術すれば奇麗に治るって言うてはるし」
「、、、、嫌や!わし、もう痛いの嫌や!」
家族が看護婦さんに救いの視線。
それを受けて看護婦さん、
「○○さん、気持ちは分かるけど、もう一回がんばってみよ!ね!」
「いいいいいやや!!!」
院内に響き渡る大絶叫。携帯落としたわ俺。
「わし、、わし、、もう痛いの嫌やー、、」
「もう一回だけ!ね!もう一回だけがんばろっ」
「もう一回、もう一回言うて何回目や思うとんねん〜(もはや涙声)」
家族が看護婦を見る。看護婦、「ええっと4回目でしたねぇ?」
「ちゃうわ!これで6回目!もうええねん、このまんまおらせてーな」
それでも家族の説得は続く。看護婦さんも「あとは家族の皆さんでしっかり話し合って下さい」
と言うて帰って行った。
残された家族が説得を続けていたがどうなるんだろうか?
お爺さんは「手術してまた半年入院暮らしや。そんなことの為に生きとるんやないわ。寿命が短くなってもうても家で寝て起きて、好きな時に新聞読んで、好きなもん食って死ねるならそれでええ」
と言うてたのには我が事として考える所も多かった。
『生きる権利はあるけど、生きる義務は誰にもない』という言葉が頭をよぎる。
「生きていて欲しい」誰しも狂おしくなるほど想う切なる気持ちだ。
しかし、人は一人一人独立した心を持ってる。まさに一人生まれ、一人住み、一人去る、ということが全生命体の本質ならば家族、友達、恋人、様々な関係っていうのは蜃気楼のような不安定なもの、というのが本質だな。だからよ、だから大事に大切にするの。手が届く間は懸命に。
このお爺さんは命の本質を突いたメッセージを家族に懸命に伝えていた。
家族はどう感じただろうか。どうかお爺さんがめっちゃええ日々を送れる選択が出来るよう願う。
---------------—プッシュー、プププ、プッシュシュー----------–
帰り道、歩いてたら何処からともなく咳込むような「プ」とか「パ」の音が聴こえて来てキモかったから何処って探したら、向かいから自転車に乗ったb-boyが、携帯に向かってプッヒャヒャとか言うてた。『何やってるんやろー?』と思い様子を見てたら、すれ違いざま、
「どう?俺のボイパー、結構使えるやろ?」
と聞こえて来てた。
どこで、どう使うのかとても気になるが、素人の俺が客観的に見ても、今現在は咳にしか聴こえないからもう少し集中的にがんばれ!
電話でボイスパーカッションされて「どう?ええやろ?」って感想求められてる電話の相手も可哀想。
ライブの後「どう?ええやろ?」って聞く以上に罪だなぁ。