そういう人間に私はなりたい | ha-gakure

そういう人間に私はなりたい

2013.01.21


新年明けて初めての投稿になります。
今年もお互い豊かな一年になるよう励みましょう。

唐突ですが。。

今日は久々に感情を揺さぶられました。
悪い方へ。

要するに「思い通りに行かなくて腹が立ったが、我慢した」という苦しみのメカニズムよろしく『ストレス』を生じたという事です。

以下、図にしてみました。
2013012023210000.jpg

上の図は住吉区の長居公園通り沿いにあるマクドナルドのドライブスルーで込み合う車が、中に入りきれず、公道を塞いでる図です。

僕は先頭でマクドに入ろうとする車の二台後ろにいました。

此の道は、片側一車線なので、完全に道を塞いでる状態です。

1分が経過し、2分経過した頃から後ろが大渋滞になり、方々からクラクションが聞こえてきます。
更に反対車線からもドライブスルーに入ろうとする車が渋滞しているので、まったく動きません。

マクドは60秒サービスはどうなってるの?一向に流れないじゃん。と不思議に思います。

自分は次の現場へ急がなきゃいけない状況でしたので余程、降りていって「もう諦めて、一先ず進んだら?ぐるりと一周して来たら状況も変わってるよ。君のマック食べたい気持ちは良くわかるけど、これだけの渋滞を生み出してまで必要な食事なのかな」と言うてみたかった。

いや、何より、鳴り響くクラクションの海鳴りの中で、

「何故、平気で止まってられるんだろう」

と怒りを越えて、その図太さに呆れてしまったし、自分も何度か同じ状況に置かれそうになった事があったけど、そんな時は「縁がなかった」と何処かで時間を潰して再度トライするとか、要するに外圧に弱い?良く言えば臨機応変?という、まぁ工夫をしようとは準備しています。

「この人はなぜ耐えられるんだろう?」

普通に笑けて来ました。

そんな時、ついに一番前の車から男性が降りて来て「あ、とうとう降りた、、」と思った時、

良いタイミングで前の車がドライブスルーに入って行きました。

そして男性は道路に置き去りにされました。

僕は、「これでやっと進める」と安堵と、そして怒りを感じながら発進の準備をしようとしていたら、信じられないことに、その男性、車に乗った途端、ウインカーを右に出してドライブスルーに並ぼうと試みているではありませんか。。

これでまた渋滞です。

いや、パッシングとクラクションで強引に右折してマクドに入って行きました。

彼はハンバーガーを食べたかったのか。それとも文句を言いに行ったのか。わかりません。

自分はそのまま走り去りましたから。

『どうしてもマックに行きたい』という煩悩と『早よ行けや、俺の予定狂わすな』という煩悩。

「空気を読めや」という社会的マナーの席巻をモノともせず欲望を貫き、達成した人と、「被害者」意識を持った僕ら。

「周り見ろ。空気読んでマクド我慢しろ」という多数の声というのは正義か?

「俺のこの被害者スタンスは客観的に悪ではないのか?」

「基本、苦のスタートが欲であるとするなら。。」
「やはり、俺のも欲であるよな」
「結果的には欲と欲、苦と苦。悪と悪なんだろーなー」

とか自問しながら怒りを冷まして、いや、醒して仕事に向かったのでありました。

ただし、『世間様に迷惑の掛かることを好んでするなかれ。好んで徳を積め。』という言葉を今もリスペクトするならば、やはり、先頭で自分の目的が果たせるならば、世間の迷惑など関係ないという視野の狭い生き方は、多数に苦痛を伝染させてしまう。それは徳を積む行為ではないだろう。

今の日本は駄目になったと方々で聴く。

それは今の日本は先人達の積み上げた徳の貯金を食い崩し、いよいよ徳の赤字に突入したという事か。
「今さえ良ければ良い」という破滅的な生き方は、もれなく部屋も人間関係もゴミ屋敷のように散乱させてしまうものだ。

何事も綺麗に越したことはない。
掃除をすることだ。
シンプルに生きることだ。
諦めるという心意気を多く持つ事だ。
諦める=『明らかに観る』ことで人生の命題が際立ち始める。
成すべき事を成せば自信が根を張る。
いよいよ無駄な虚勢、意地、欲望が減る。余白が増える。入る水『智慧』の許容も増す。
そういう人間のことを「粋」と呼ぶ。

そういう人間に私は成りたい。
最後、宮沢賢治風でした。終わり。
今年もがんばりましょう!