ムラオ2 | ha-gakure

ムラオ2

2007.06.27


『新入生、入場』
男教師の厳粛なるアナウンスが燕子花高校体育館に響き渡る。
ムラオはムの行だから最後尾から2番目だった。
中学時代は最後尾だった。それが中学時代のムラオの唯一の自慢であったが、此所(燕子花)では後ろにもう一人いる、ムラオの後ろに立つ者、ムラオは決めた。こいつを今日シメる。
ムラオのデビュー、ここから始まるのだ。
親に無理を言って県外の高校に入学させてもらった御恩をここで返すのだ。ムラオの悲惨な中学時代を知る者はここには誰もいない。今こそムラオがムラオたる由縁を世に知らしめる時なのである。
アナウンスに続き、新入生諸君が所定の椅子に座り始める。
ムラオの隣、そこにいるのが最後尾の男。
ムラオは震えた、怖いのか、、いや、これは武者震いという奴だ、きっとそうだ!と唇と拳を握りしめた。
(どんな奴だろ?こいつ、まだ顔見てないよなぁぁ、、ちょいチラッと見てみようか、、うー!!できん!!緊張する〜、、いや、違う、緊張とかじゃないのう、、やっぱ怖いんかのうぅ)
などと最後尾の男の横顔をチラッと見ようか見ないでおこうか、とグダグダ悩んでいる内にムラオの全身から有り得ない程の大量の汗が噴出してきていた。。
ムラオがそれに気付いた時はもう遅かった。。
椅子の下のボトボト溢れ落ちた汗が、沼のように周囲に広がり、まるでムラオが小便を漏らしたようになっているではないか。
「先生!!」
斜め後ろの方から女子が叫ぶ。
「先生!!すみません!、、先生!」
女子の悲痛な叫びが入学式の厳粛なムードを切り裂く。
途端にざわめく体育館、ムラオを中心にドーナツ化現象ばりに同級生達が椅子から立ち上がり後ずさりする。
何かの儀式の生け贄のような状態で円形の中心に取り残されたムラオ、椅子に座ったまま動けない。
「おい!!どうしたっっっ!!!!」
男子教師がここぞとばかりに駆け寄る。
「おい!!おい!!君!どうした?小便か??」
デリカシーのない発言が発端となり館内の至る所で嘲笑めいたクスクス笑いが勃発し始める。やがてそれは大きなグルーブになって館内を支配した。
男子教師が何故か自分が笑いを取った、なんて勘違いして得意気に余韻に浸っている頃、ムラオの汗は余計に噴出し始めて、それは徐々に体育館全体を浸し始めていた。
「うわー!!!きゃー!!!」
逃げ惑う高校生達。
職務放棄で退散する教師達。
最後に残った体育教師が非常出口から怒鳴った。
「おーい!!そこの君!!」
ムラオが放心状態で振り返ると、
「いや、違ーう!!君じゃないっ、隣の君!!そうっ、君!!
早く逃げなさーい!!このままでは溺れ死ぬぞー!!!」
ムラオが隣を見るとそこにはたった一人、足を組んで悠然と座っている男がムラオの汗の海の中、パイプ椅子を上手に操りプカプカと漂っていた。
その男は、最後尾の例の男だった。
信じられない角度の剃り込み、ワタリ200センチのボンタン、
引き締まった短ラン、きっと裏地は昇り龍の紫であろう。
その完璧な出で立ち、惚れ惚れするような超ド級のヤンキーだ。
「ん?」
男は振り返った。
「おーい!!君!!早く脱出しなさいっっっ!!」
「、、、、汗だろ これ 別にええじゃん」
そういうと男はまたプカプカしていた。
プカプカする度に真っ黒の硬質なリーゼントが優雅に揺れた。
「もういい!!先生は先に行くぞー!!教室で会おう!!」
と言って体育教師は去って行った。
「へっ、くだらねぇ」
最後尾の男は鼻歌を歌い始めた。
何の唄かわからないけど、何かとてもムラオのムラオたる由縁の淵を豊かに洗うさざ波のように、それは確実にムラオの核心に届いた。
ムラオ,S汗の大波小波の打ち寄せる音色が静寂の館内に優しく響き渡る。
最後尾の男のダイナミックな鼻歌は尚も続く。
それを聴くムラオは何度も精神的ピークを迎えそうになった。
そして鼻歌がアウトロを迎えた所でムラオは思い切って聞いた。
いや、その前に拍手をした、そして言った。
「すごい!バリええ唄じゃのう!!」
「おぅ!サンキュー」
「何のうた?」
「唄、か、、、へへへへ」
「ねぇぇ〜教えて〜や〜」
「まあ 唄っていうカテゴリーじゃくくれんの」
「え?どういうこと?え?自分で作った?とか??」
「へへへ」
「え!?そうなん??自分の唄なん??!!」
「じゃないって〜じゃないって〜、要するに唄とかってこじんまりした括りじゃなくてな、まぁ、MUSICとでも言うんかのぅ、へへへ」
「え〜??MUSIC!!?」
「じゃのう、へへへ」
ムラオは(MUSIC MUSIC MUSIC)と3度呟いてみた。何だか不思議な響きだった。しかも何だか得体の知れないパワーが溢れてくるようだった。
「すごいね!!MUSICって響き、何か元気が出てくるじゃん!」
「おー、じゃろ へへへ」
最後尾の男は満足そうにプカプカ漂っていた、そして短ランの裏ポケットからショートホープを取り出し火を付け上手そうに吸った。チラッと見えた裏地はやはり金色に輝く紫だった。
「あ!駄目よ タバコは」
「おっ言うね〜お前 へへへ」
男はハエでも追い払うように言っておかまいなしに吸った。
「もう、、あ!ねぇ、、さっきの鼻歌、、あれMUSICっていうのは分かったよ、そんで俺、すんごい力が漲ってきてね、何と言うか緊張感とか、そういうの鼻歌聴いて初めて感じたけん、良かったら誰の曲か教えてほしい、ほんと、今日はねこんなことになってしまって、、だから家に帰ってまたテンション上げて家族と接っせないかんし、、それに今後3年間、またきっと燕子花高校でもイジメに会う可能性が大きくなってしまったし、、そうそう、ほんでな、君には申し訳なかったんじゃけど、俺な、今日の入学式で誰でもええから喧嘩売ってな、ヤンキーになろうと思ってな、
あれじゃろ?何つーか、入学式でガツーンとやっときゃ、みんなビビって尊敬されたりしちゃうかも〜とか思ってて、、ほんで、これは本当に君にはごめんなんじゃけど、その今日の喧嘩を売る相手に決めたのは君やったんじゃ。。。ほんまこんな親切にしてもろうた相手に、、ごめんなさい」
「へへへ」
「ねぇ、、さっきの鼻歌誰の曲??」
「へへへ」
「ねぇぇ」
二階の窓からにわかに風が入り、桜の花びらが舞い込んできた。
花びらはムラオ汗の海に落ち、たおやかに漂った。
「1000円くれや」
「え?」
「教えたるから1000円くれや へへへ」
「いや と言うたら、、、、」
「そん時は、、、」
と言い掛けて男はパイプ椅子を投げ捨てムラオに飛びかかってきた。
「そん時は、こうじゃ!!」
ムラオは顔面を殴られそのまま自分自身の汗の海にバシャーンと落下した。
半分意識を失いかけていたが、すぐに立ち上がりパイプ椅子を掴むと奇声を上げながら傍若無人に振り回した。
「へへへ」
どこか遠くで男のニヒルな笑い声が聴こえた。
「へへへ もうえって」
男は自分のパイプ椅子を引き寄せ座った。
「へへへ、試してみたのよ」
「え?」
「いやな、ワシも小学の時は苛烈なイジメに会おうとってのぅ。
お前と同じように中学デビューじゃ へへへ」
「そうなん??」
「まぁ、がんばれや ヘへへ 何かあったら言うて来いや」
「あ、 あ ありがとう」
「へへへ」
ムラオも真似て言った。
「へへへ」
「おう、ところでの、さっきのお前の質問な、ワシが鼻歌で歌っとたんは『one love』じゃ へへへ」
「『one love?』」
「は?知らんのかお前」
「うん」
「ぼぶ まーりーじゃ」
「ぼぶ まーりー」
「そうじゃ へへへ、MUSICじゃ REBEL MUSICじゃ へへへ」
「れべる みゅーじっく?」
「そうじゃ 戦うMUSICじゃ」
「音楽が戦うん?」
「違う 戦う音楽じゃ」
男はその時だけはニヒルな「へへへ」笑いをしなかった。
それどころか刃のような切れ長の瞳がさらに切れ味を増して柴田勝家所蔵の名刀「鬼切」ばりに妖艶かつ、鬼神の切れ味を醸し出していた。
「れべる みゅーじっく、、、ぼぶ まーりー、、、」
ムラオは何度も呟いた。自分にも何か大きなことが出来るんじゃないだろうか!というような未知なる響きであった。
「ありがとう ほんとうにありがとう!」
「へへへ じゃの、もう行くわ」
「あ!ちょっと名前を、、」
「あん? おお、、ワシは村崎じゃ じゃあの」
村崎、、REBEL MUSIC、、ムラサキ、、ぼぶ まーりー、、
ムラオは繰り返し呟いた。
嬉しかった、ほんとうに嬉しかった。
友達ができた。
「ねー!!!!村崎くーん!!!」
「なんや?」
「ここ、、どうしたらええかなぁ??」
ムラオはもう友達気分で聞いてみた。
「はぁ?知るか」
「ちょっと ちょい!!ねぇ〜」
「放っときゃええじゃろがい 明日になったら干上がっとるわ
そしたら塩が残るじゃろ?それを集めて俺のところに持って来い、天然塩や、言うてネットで売ったるわ」
「ナイッス ムラサキ!!」
「うっさい ボケ」
そう言うと村崎は帰って行った。
ムラオはそのまましばらくプカプカと自分自身の汗の海で漂いながら
鼓膜にかすかに残っている
「one love」を口ずさんでいた。