カダフィ大佐とシャア大佐
2011.10.25
大佐といえばシャア大佐だな。
大佐という響きへの憧れというのかな、洒落た感じが好きだったからカダフィ大佐に対しても良し悪しは別にしてどこか親しみを持っていた。
かつてはリビア解放の雄、アフリカ解放の光と呼ばれたカダフィ大佐がとても残酷な形で殺された。生きて拘束されたが、護送中に頭を打たれたのが致命傷となったようだ。それにしてもあの血まみれの映像には気が滅入る。一人の人間を寄ってたかってFULLボッコににする映像などヘドが出る。更に遺体を見世物にし、市民が列を為して行列の出来る始末。
モハメッドは人間の死に対してどう説いているのか、宗教として機能しているのかどうか疑問にすら思う。
これだけ残酷になれるリビアの民意というのはどうこにあるのだろう。一体何が彼をこれほど憎悪させているのだろうか?
秘密警察を駆使して密告社会を生み出した、とか、重要ポストを親族で支配とか、そんなもんお隣りの国も、中国も似たようなもんだ。
から見るだけなら、カダフィ大佐はリビア解放の父であり、アフリカを欧米の搾取から救う英雄であり、なにより西側諸国に平気で噛み付く狂犬として中々気概のある人だと俺の目には映っていた。
トリポリの街のインフラもカダフィ抜きでは語れないほどに尽力したと聞く。彼は虐殺され、遺体に唾を吐かれるほどのことをやってきたのか?
同じ人類として納得いかないのでご存知の方は教えてください。
火葬場の話。
いつからかあるルールが生まれた。
火葬場の炉がずらっと20基ほど並ぶそのホール内では、特定の宗派の作法をしてはならないというルールである。
俺は最後の大切な別れの場所で親族さんと共に黙って合掌しかできない。
南無阿弥陀仏と唱えなれない。
宗教色を出してはならないのである。それは他宗派に対する対立、不快感を扇動しない為、というのが理由らしいが、余りにあんまりなアイデアじゃないか?
各々がそれぞれ心のあるままに送れるようにするべきじゃないか。
火葬場は宗教施設ではない、というのだ。ほんなら焼場か?居酒屋じゃないのだ。どうも粋じゃないよな。
宗教色の締めだしをしようと誰かが抗議でもしとるんだろうか、。日本人は一体どこへ向かってるだ。
もうひとつ。靖国神社に変わる礼拝施設を造ろうという話が出て何年になるだろうか。こんな話が出てくる時点で情けない。
宗教施設でなはない礼拝施設など有り得るのか?
どんな心根で御苦労された先祖と向き会えば良いのか判らん。
決断と責任ある立場にある人たちは、東條英機氏も含め、日米開戦だけには反対だったのだ。それを無責任なマスコミに煽られた右翼青年や真実を知らない国民が囃し立て政治を自滅へと導いた。
政権も選挙に勝たなければ野垂れ死にだから保身的に成らざるを得ないだろう。今の大衆迎合政治と一緒。
政権はあらゆるルートを通じて外交での解決策を模索していたが、世論が異常に沸騰する中、これ以上の開戦回避は暗殺やクーデターなど、政治生命に関わるということで、多くの政治家、官僚、軍人がひとりまた一人と開戦やむなし派へと傾いてゆく。結局、戦争責任の実態なんてどこにもないんですよ。戦勝国側が吊るし上げたいヒトラーのような戦犯なんて存在しない。 厳密には独裁じゃないんだから、あくまで民意にそった決断をしたっていう人が都合上戦犯にさせられたってだけじゃぁないか。
確かに存在するのは、戦争の狂気の中で自制心を失って不条理な殺生に走った兵士、上官と、右翼的な論調にすればするほど新聞が売れたマスコミと大局を見ることもなく盲目的に開戦に狂気した一億総日本人の民意です。それこそが戦犯だろ。それが東城氏ひとりに責任をなすりつけ知らん顔ってのはどうかしてる。はっきり言うと、日本人自身が寄ってたかって国を売ったのはないか。リビアと何ら変わらん。
開戦やむなしの声が大きくなり体勢が開戦へ向かう中で最後に問題になったのが、誰が首相として開戦を決意し、その全責任を負うか、ということだ。誰だって負けるとわかっている戦争の責任者になんてなりたくないだろ?
本当に醜いなすり合いがあったんだから。急げ急げというマスコミと国民、煽られパニックになる国会と政治家、陸海軍の大将。
そこで自ら貧乏くじを引いたのが、今も戦犯として日教組により悪魔にされた東條英機氏なのである。
彼にはむしろ感謝せなあんのじゃないか?連合国側にとっては都合上戦犯かもしれんが、日本人は、日本人だけは身代わりに絞首台に送られた東城英機という人間に感謝しないかんのじゃないのか。
戦前あれだけ彼を賞賛していたマスコミよ、敗戦後けろっと拳銃自殺に失敗した東城英機氏を悪く言うてあざ笑うなど鬼畜の所業であろう。
アホなマスコミに熱くなったイケイケの世論に押され、冷静な判断をすれば売国奴と呼ばれる当時の日本の政治の中で、誰も責任取りたくないからダンマリを決め込み、その一方欧米に資源包囲網を引かれ、暮らしは日に日に追い込まれてゆく。中国から兵を引こうとすれば新聞に弱腰と叩かれる。
そりゃマスコミも辛かったと思うよ、朝日などはどちらかと言えばリベラルな新聞で、日米開戦には否定的な論調だったのだ、しかし売れないのだよ新聞が。。世論はもうイケイケどんどん鬼畜米英だからな、。売れる新聞にする為には国土を売るような無謀な日米開戦の泥沼に日本を引きずり込む論調に変えて行くしかなかったのだ。
そんな中で責任者として声を上げてくれた東條英機氏を、戦後、当時の愚かな世論を忘れたかのように悪魔に仕立てあげる国営放送とマスコミ、日教組。返せよ俺の教室。洗脳された俺の中学高校時代を返せ。学校でもらったプリントに描かれた四コマ漫画の東城英機氏の顔は血に飢えた鬼のような顔にデフォルメされていたぞ。いい加減にしろと言いたい。普段人権、人権という人ほど人権を平気で踏みにじるのだ。踏みにじってエエ人権があると思っているのか。基本的人権って何だ。人権保護法案って何だ。暴力団対策条例って何だ。向かってる方向なんかおかしいだろ。
一億総白痴の国民に担がれて全責任を追い無謀な決断をせざるを得なかった東條英機氏に感謝こそすれ、戦犯にするなど日本人として、いや、人間として終わってると俺は思うのだ。
我々の身代わりに戦勝国のイカサマ東京裁判で惨殺されたのだ。
憎むべきは東城英機氏ではない。戦争である。そしてそこに追い込んだ大衆心理であり、煽動したマスコミの恐ろしさであろう。冷静な言論を封殺する熱狂が生み出すものは破滅しかない。安易な思考から生み出される敵と味方、善と悪、選択の余地すら与えない売国奴、非国民という差別、区別、社会的村八分。乗っからんでええんよ、自分が信じれないことには。
そんな彼に対して靖国から追い出せとか、第二次世界大戦最悪の魔王の象徴のように扱ったり。彼が首相になった経緯を精査せず、戦争犯罪人として区別し続けることは、人としてどうかと言うてるんだ。
俺は戦争賛美でも、英霊英霊と諸手を上げて称賛しとる訳ではないのだ。ただただ喉元過ぎれば、担いで来た一人の人間を犬猫のように扱い、すり潰し、歪め、都合、立場によってその人格を社会的に抹殺しようとするその性根が野蛮で下品だと言いたいのだ。美しくないよ。
結局、リビアの市民がやったことと同じじゃないか。
当時の体制に嫌気がさし、英雄を待ち望んだのはお前らだろリビア、そして我ら日本人。
クーデターが成功し、解放の歓喜を甘受したのはお前だったろリビア。
政府の外交政策を弱腰とあざ笑い、東城英機氏の日米開戦大本営発表に狂気乱舞したのはお前だったろ我ら日本人。一時的であれカダフィ、そして東城氏を英雄だというて担いだんだろ。遺体に唾吐いたり、靖国から追い出せ!なんて言うてる場合じゃないだろう。野蛮だろ。誇りを持てよ。
リビア市民よ、そして戦後の日本人よ、なにがあろうとも、その恩は忘れてはならなかったよ。
一時的であれスカっとして心底救われた人間も多かっただろ?
そこの感謝が少しでもあるなら遺体を見たい為にニヤニヤしながら何時間も並び遺体に唾棄する必要などないんじゃないのか?
リビアよ、束の間でも期待し、解放の喜びを分かち合い、かつては同志と呼んだカダフィに対し、その全人格を否定するようなことをする奴のことを世界では恩知らずというのだ。
幾ら何でもやり過ぎだ。彼はもう死んだ。そこまでして更に死を汚す必要はなかったのだ。
リビアに第二のカダフィが誕生するのにそう時間はかからんだろう。また同じことを繰り返すだろう。
それは日本人だって同じだ。歴史を正当に評価せず、恩を知らず、常に善と悪のみの判断基準でしかモノを観ず、道理から逃げ続ける限り、下には下をつくり、区別と差別を繰り返し憎しみの連鎖に窒息するのは定なのだ。そうやって哀しみはLoopしてゆくのだ。
解放、解放と世界が唸っているが、真の解放はこのLoopから解放されることなのではないか。人類よ真に目覚めよ。
俺も努力してみる。