右から左へ、帰路は真ん中 | ha-gakure

右から左へ、帰路は真ん中

2012.07.5


若松孝二監督の実録・連合赤軍 あさま山荘への道程から何年かな、今日はもう長い付き合いになるけれど、最近ha-gakureでPAをしてくれることもある(ありがたい)カトーくんとテアトル梅田に是を観に行ってきました。
『三島由紀夫と若者たち』11、25自決の日、という映画。
俺はha-gakureというバンドをやってる訳ですが、このha-gakureという意味はもちろん「葉隠」です。
あの「武士道というは死ぬことと見つけたり」の葉隠です。
しかし、スタンスはそんなんじゃありません。むしろ遠い所にいます。何故か。
高校2年の頃、少年時代から続けていた野球を止めたんよね。怪我を理由にしてたけど、正直ついて行けんかったから逃げたようなもんです。結構な挫折感で、inに入って行く訳です。外でボール追ってた時は帰宅部に対して優越感もあった訳です。同じ志しの仲間と此処に所属してる安心感、という奴ですかね。
ある日から成りたくなかった帰宅部になって、相変わらず校庭で泥にまみれてる同級生から逃げるようにくぐる校門までの憂鬱なこと。
そんな中で本に逃避するようになって、出会った一冊の本が三島由紀夫の「潮騒」でした。
そっくりそのままノートに書き写した程、好きになりました。
その果てに「葉隠」にたどり着きました。
高校2年のウジウジした少年はすぐに感化されてしまいました。
気の合う友達Kと一気に右傾化しました。
ある日、この堕落した校内を正そうと、二人で決起しようという事になり、夕方17時、生徒会室にKと乗り込み、持参したおちょこを生徒会長に渡し、俺ら二人が彼の前に座り込み、「同志になれ、飲め」と言うておちょこを渡しました。彼とはめちゃくちゃ仲が良かったので、彼はいつものギャグやと思って笑いながら飲んでくれました。
その場に居た書記の後輩の女の子にもおちょこを渡し、同じように水を注ごうとした所、泣き始め、職員室に走り込んで行きました。
その日は「おかしなことをするな!」と怒られただけだったのですが、次の日、「こうなったら実力行使のみ」ということになり、夕方、Kと無人の教室にこっそり入り、黒板全体に「打倒!日教組」とか「天皇陛下万歳」「大東亜共栄圏」などと、意味も分からず、ただただ何となく響きの格好良い、そして何となくヤバそうな知る限りの文字を書いて鬱憤を晴らそうとしていました。
そこへ密告を受けた担任が入って来て大変なことになりました。
担任は泣きながら旧日本軍の悪行、戦争というものの人格破壊、戦後の教師組合が必死で抵抗しようとしている大切なこと、そして此処は広島ですから原爆、プルトニウムの恐ろしさ、天皇の名の下に殺された多くの命の事を聞かしてくれました。
ものすごい熱量でたっぷり時間を掛けて。
二人とも薄っぺらい人間ですし、思想も哲学もあったもんじゃないですから、結果、俺ら二人はものすごい反省して、自ら黒板に書いた文字を消し、先生にオレンジジュースをごちそうになり帰宅したのでした。
「先生、三島由紀夫って偉い人なんですか?」と聞いたら「劣等感の固まり」
という言葉だけ残して去って行かれた後ろ姿は良く覚えている。なぜか、とても三島が可哀想に思えたと同時に、その時になぜ自分が右傾化したか理解できて非常に恥ずかしかったのを覚えている。
という、ところでこの話は終わるのだけど、「葉隠」という響きだけはずっと忘れることはなかった訳です。
それから時が経ち、ha-gakureを結成する訳ですが、この時にha-gakureと名付けた意図なんて大したことないです。単なる響きであり、反省であり、アンチですね。
日本政府が運営管理している日常の日本国の生活、経済活動に違和感があったり、乗り切れないという想いを持つ時、その空白を埋める為に、人々は芸術を求めるのかもしれません。
多数は無関心だけど、自分にとっては「美」なるもの、との出会いを求めている人にとって、それを購入したり、広めようと努力したりする行為は芸術を介した反体制運動に相違ないと言うのは言い過ぎなのでしょうか。
今の世の中に息苦しさを感じ、それを訴え、共感できる芸術を応援したい、と思うテンションというのは現状の日本を否定しつつも、良き方向へ導きたいという「愛国心」に間違いないと思うのです。
愛国と聞くとすぐいに「右か」と成りますが、左だって愛国の為にやってるのですから、まぁ向かう先は同じですね。右は「武士道」出しますね。左は「共闘」出しますね。
政府批判をしているアーティストからは何回か「バンド名には共感できんわ」など言われたこともあり、どうしようか迷ったこともありますが、バンドのテーマはずっと一貫していると信じていたので、しっかり聴いてもらえたら、俺らの複雑な心境を理解してもらえるんじゃないかという希望を持って、変えずにやっている訳です。
そんな自分が今日、カトーくんと三島由紀夫自決の時という映画を観ておった訳ですが、何と言うか、担任にこっぴどく叱られた頃から随分時も流れているし、様々な感情が沸き起こり、心の中では申し訳ない、というか、ずっと「劣等感の可哀想な人」というイメージを持っていた事に対して、失礼なことだったなぁ、と思いながら市ヶ谷駐屯地での演説風景を観ておった訳です。
しかしながら、賛美することはないな。
だけど絶対に否定したくない。
ただとても寂しくなりました。
何が寂しいのかもわからないまま、カトーくんとうちに来て、今度は録画してあった赤軍リーダーの重信さんのドキュメントを観た。
極端な状態に混乱しているであろうカトーくんの横顔を観ながら、今日じゃなくても良かったかも、と申し訳ない気持ちになりつつも、最後まで二人で観て、鍋して別れた。
今、最後のこの行を書くのに一時間経っている。もう時間も時間なので眠くなって来た。
何か的確な総括をしたいと思って用意した最終段落だが、それより眠くなって来た、というのが俺の人間としての限界だな。
何も書けないという空洞こそ、俺がこの映画を観て得たものだろうと思う。それはこの映画が素晴らしくバランス良く作られている証拠でもあろう。おやすみ