小谷城 | ha-gakure

小谷城

2013.05.28


ふと思い立って長浜市は湖北、浅井氏三代の居城、小谷城跡へ行って来た。
と言っても石垣も城郭も何も残ってない。雰囲気が残っているだけの城へ行くのは初めてだ。

長浜市内の喧騒を離れ、北へ北へ、淋しく暗い山の方へ分け入る。

小谷城は山自体が要塞だったという巨大な山城で、本丸は山頂にある。
車では途中までしか登れない為、番所跡地からは険しい峰を徒歩でゆく。

時間は17:30、陽も落ちかけ、寂し気な風が木々を揺らしてゆく。

まったく整備されてない獣道に等しい山麓を一人歩く。
月曜日の夕暮れ。。

誰が好き好んでこんな険しい山道、陽も落ちる間際、城も残ってない山城に出かけてゆくのか。まったく誰も居ない。
この、かつて京極氏から下克上で身を興し、湖北を掌握した浅井氏三代の栄華を誇った小谷城、その場所、この山中に唯我一人、である。

すれ違う人もいなければ、追ってくる人間もいない。
人ひとりがやっと歩ける山道をクネクネと曲がりながら上を目指す。

熊出没注意の看板に怯みながらも、見下ろすと琵琶湖と長浜の美しい町並み、鏡のような水田が望める。
微かに残る土塁、建物は勿論、石垣に至るまで信長により破壊し尽くされた苔むした石垣が剥き出しのまま所々崩れ、転がった石が時の流れの中、無造作に点在している。

しばらく行くと、馬洗いの場所や、小谷城攻めの時、信長が陣を張った虎御前山展望所があったり、お茶屋跡があったりと本丸に続く山道には確かに人々の暮らし、気配のあったはずの幾つかの遺構があり、こんな貴重な体験あるかよ、とばかりにひとりビデオを回しながら、無人の山中で「ここはこうで、あれはこうで」と独り言の解説を入れながら録画しつつ歩く。

当然であるが、この山の中、俺が今歩いている場所も小谷攻めの時は織田、浅井両軍が追いつ追われつ、「おー!」と声を上げながら駆け上った道であり、大量の戦死者が野晒しにされた場所であるはずで、今、そこをひとり歩いてるんだ、と思うと何処からかホラ貝と共に、時の声が聴こえてくるようでもあり、正直怖い。
木々がサササと鳴るだけでもビクッとしてしまう。

自然と早歩きになりつつ、神経も過敏になる。熊が出たらどうしようってなもんだ。他に誰も居ないし野垂れ死ぬなと思ったり。

姉川の合戦から始まり、浅井長政自害へと続く、あの有名な古戦場に時空を越えて、黄昏時にただひとりって怖いです、正直。

追い討ちを掛けるように眼前に出現した遺構は「首据石」と長政自刃の地。

首据台は浅井氏に背き六角に内通した者の首を晒した石だ。石の上にさい銭が置かれたりしてる。

わー怖い怖い、とびくびくしながら手を合わせつつ過ぎゆくと、いよいよ長政自刃の地。

しばらく留まり、長政殿の心中に想いを馳せるも急に風が強くなり木々が異様にざわめき始めたので、「なんだこれ?」と不思議な気持ちになり手を合わせ退陣致す。

更に険しくなる山道を上へ上へと駆け登る。

急に開けた平坦な場所に出た。

大広間跡である。千畳敷きとも呼ばれる山中髄一の広さを誇る屋敷跡。会議やら謁見、軍議などしてたんだろう。
しかし今は何もない。
ただ風が流れ、石が転がっているだけだ。
ここに長政の妻、市や浅井三姉妹や家臣たちの暮らし、戦国の賑やかな息づかいがあったことなど今は見る影もないが、それが寧ろ良い。何もないからこそ空想は尽きない。
多くの城のように中に入ればエレベーターとかゲンナリである。

さて、大広間跡を抜け、階段を登るといよいよ本丸である。

最後の階段を登り切り、本丸跡地へ足を踏み入れた瞬間、その場にいたカラスの群れが突然飛び立った。
なかなかの騒がしさだったから相当びっくりした。

いや、本当に本丸跡地はかなり不気味であった。ここが一番孤独を感じた。
鬱蒼と木立が繁り、当時の栄華の何一つの面影もない、ただただ風がざわめき、木々が唸り、寂しげにカラスが上空を舞う。

この地で命尽きしもののふへの敬意抜きにして登ること憚られる荘厳な山城、それがこの小谷城跡地だと強く思った次第。

帰り道、怖くて怖くて転がり落ちるように下山した訳だが山腹途中に浅井氏供養塔があったので静かに手を合わせ帰路に着いた。

これまで城なき城には関心なかったのだが、この度、跡地と呼ばれるほったらかしの城跡に足を運んでみて、その圧倒的リアリティーと、勝者によって徹底的に破壊され尽くされた敗者の城という物に非常な感動を得られたことは大きな収穫だった。今度は佐和山城跡、そして天空の城、竹田城に行ってみたい。
小谷城、日暮、ひとり立つことをおすすめする。

さて、録画した小谷城、映ってはいけないものがあるかどうかこれから少々恐ろしいがチェックする(笑)