アイドルとか戦争とか
2013.02.11
好き放題書いてます。
みなさんお元気ですか?
A◯B48について考えてみました。
僕の言うA◯B48とは、A◯Bにまつわる諸団体全て引っ括めた集団の事です。
(その1)〜A◯B48と除染作業について〜
彼女達は大勢いますね。
大人気の彼女らは人気に見合う給料を貰っているのだろうか。
あの活躍ぶりだったらリーダーや、トップクラスの子たちはもう家が数件建ってても可笑しくないってのが80年代アイドルだったと思うが、そのようなセレブ感は全く出してない。
敢えて出してないのか出せないのか。
相変わらず、「いつでも会いに行ける庶民派アイドル」として活躍されている。
僕が気になっているのは彼女等を取り巻く、いや、商品として群がる人々のことである。
もうきっとピークは三年前に過ぎてたはずである。
パチンコ台とのタイアップを始めた時から回収モードに入ったね。
健全なアイコンとしての価値に陰りが、いや、もうこれ以上パイが拡がらないかもと思い始めた上層部のタイミングと展開の方針転換の泥臭さに、かつてない日本興行会のアイドルへ対する寒々しさを覚えた。
骨までしゃぶり尽くす所存であろうか。
あれだけの大人数が健気に夢を追って歌い、踊る。
上澄を吸い上げる商売人の方々、残った金銀をそれぞれの事務所で分け合い、汗をかく現場の彼女らの手元には一体おいくらの金銀が残っているのだろうか。
それでも彼女達は翌日も歌い、踊る。
『未来は約束されているのだから』と信じて。
丸坊主になった女の子がいた。
『未来が約束されている』のは頂点に上り詰めたメンバーだけだ。
「夢の続きでは下山はできない」
常に競争にさらされ、未来を信じて働く。
そのような環境の中でしか輝かない青春もある。そう思いたい。思いたいが苛烈である。
「終わりが見えない」というのが正直な気持ちである。
要するに「幕を引く様が」
日本はアイドルを大事にする国だと思う。
子供の頃からそのようにブラウン管の中のアイドルを見て来た。
彼女等の幕引きはそれは見事だった。
パチンコ屋のタバコ濛々とした中で、過剰な光と無駄にうるさい音、台を叩く怒れる人々の負のオーラの中で「会いたかった〜」と歌い、踊る彼女達の幕はもう引かれてるのではないだろうか。
「終われない時代」これが情報化社会の肥大した時代の欲求を満たすアイドルの末路であるなら、リセットボタンを押せば「終われる」のファミコン時代から、
「繋ぎっぱなし」の「ほったらかし」の「始めない」時代へといよいよ移行してるんだろう。
いや、そんな批評めいた事はやめよう。
本当はもう目前に「始めなきゃいけない」時代が迫って来ているのだから。
除染という作業がある。
福島は広大である。
それが一部であっても広大である。
一人の生身の人間として除染という広大無辺な仕事とどう向き合えば良いのか。
我が身に照らしてみるが、とても「やり切る」自信がない。
「はい!ついにやり遂げました!全部やりました!」
というのが仕事の本懐なら、その、「果てが見えない感」というのは誰しも思うところではないだろうか。
だって放射能は見えないのである。
見えないと言えば「人気」もそうである。
アイドルは人気あってこその商売である。
しかし人気を計ることは気配である。
アイドルの劣化は避けたいというのがアイドルを「育てる」という独特のカルチャーを育んで来たファンと事務所共通の智慧であり、理念であったように思う自分としては、明らかに上記に記して来た彼女等は、「何者かの」犠牲になっているように感じるのは僕だけだろうか。
誰かにピンハネされ、下の誰かにピンハネされ、更に誰かにピンハネされ、手元に残ったお金。
見えないものと戦い勝ち取ったはずの価値が正当に評価されたものかを問う時間も与えられず向かう次の現場。
個人的な私見で気分を害してしまうかもしれない。
A◯B48と除染作業、これは壮大な人間実験としか見えない自分には。
とても痛い。
除染作業でズルも発覚していたが、そんなに人間偉くない。
仕方ないと思うし、同情すらする。
安全な場所に除染に投下する莫大な予算を使って立派な宅地を建て、避難しなきゃいけない方を招き、半年くらいは支援金出しながら、職探しを応援することに使って欲しい。
先祖代々の地を離れて欲しいと伝えるのは苦しい。しかし命あっての次世代である。王道というなら此の方が意味があると思うのだ。
(その2)〜領土〜
北方領土の四島一括返還から二島、三島でも良いのではないかという譲歩案が出ている。
尖閣、竹島の案件しかり。
かつてないほど、領土を意識しています。
しかし、思う訳です。
例えば北方領土四島一括返還しろ、という人たちの根拠は「元々日本のものや」「どさぐさに隠れて盗みやがって」と。これは竹島も同じ論法ですね。
まぁ尖閣に対する中国の主張は意味不明なので置いておきますが。
俺はね、ロシアと韓国の言い分或る程度理解できる。
考えてみて下さい。
「どさぐさに紛れて盗んだもの返せ」と言うてますが、戦争やってなけりゃ今も竹島、北方四島は歴然と何事もなく日本の領土でしょう。
恐らく、何の問題もなく竹島は島根の管轄下にあって、北方四島では日本人が住み(今は過疎化してるかもですが)天然ガス採掘しつつ、漁業をしていたでしょう。
しかし、追い込まれてしまったとは言え、連合国と戦争してしまい負けてしまった。
戦争というのは領土の奪い合いな訳です。
負けて、沖縄を失い、竹島を失い、北方四島を失った訳です。
「卑怯だ卑怯だ」と言うてもそれが戦争なのです現実的に。
負けるって本当に辛いですね。要するにそのようなリスクを負って戦争とはするものなのです、って事を忘れてないか、と言いたい。
「もう戦争は終わっていたし、降伏の調印もしたのに領土を盗むなんて。あれはせこい。返せ」
というのは虫が良すぎるのではないか、と言いたい。
戦争とはそういうものなのだと思うのです。
そんな中でロシアが2島返還に色気を見せている事、そして引き換えに日本と取引をしたがっている気配のあること、これこそが「終戦」じゃないですか?
はっきり。戦争は何でもありです。一億総玉砕という大ばくちの戦争に敗北した限りは何がどうなっても「あ!それはルール違反」って注意すれば「ごめんね」と返ってくる関係など存在しないのだから。
勝利者の本音は「返せ、返せって言うてるけどお前が戦争やらんかったら取ってないわ。始めたお前が悪い」って論法になってくる。
そこに日本人の苦痛があるように思えて仕方ない。
『武士道精神』である。
奪われた領土に関して「それでもお前は武士か!」「それでもお前は人間か!」という叫びが聴こえてくるようである。
大和魂、武士道、日本が歴史、風土の中で熟成させた純白の精神世界は、三島由紀夫を切腹にまで追い込むほど甘美で魅惑的である。
どうしてもその尺度で相手を計ってしまう。
しかし「卑怯じゃないか」が通用しない相手に何度吠えても無駄だった、というのは戦後の歴史が証明している。
日本人はそろそろモノの見方の尺度を変えないとだめじゃないだろうか。
「もう戦争終わったんだから潔く返せよ」
という強行姿勢は都合が良すぎると思えて仕方ない。
戦争始めて、幕引きのタイミングを逃し、非武装地域に原爆二発落とされ、息絶えてようやく終戦。戦後処理のどさぐさに紛れて奪われた島の一部。
これもまた戦争だったという事を受け入れてこそ、次の交渉に入れるのではないか。
時が経過し、ロシアの方から対話の用意がある、というのを聞いた時、いよいよ戦争の終結が近いと歓喜した訳である。
4島一括は無理で良いのだ。2島返還実現で奇跡。それが戦争なのだから。国土、領海、領空を賭けて戦うということは、そういう事なのだ、という事を日本人はもう一度肝に銘じなければならない。
ロシア、韓国が終戦後にやったことは国際法上、違法である。確かにそうである。
だが、拘束力はない。限りなくグレーでノンプレッシャーだ。
イギリスがアルゼンチンにやったように、奪われたら戦争で奪い返すしかないのが現実である。
それは懸命なやり方ではない。
今後の北方領土の動きにこそ時代を動かすヒントがあるのではないかと期待をしている。
以上。
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