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とっても静かにバラードは今夜も

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不気味な程に静かで返って恐ろしい。

集団的自衛権である。発想は良く分かるよ。その気持ちも。目の前で友達殴られて助けられないっていうの格好悪いよね。

だけど、ただ、見てるだけじゃないと思ってたけど。周りから何を言われようと、それを決めた先人たちの苦渋の決断に僕は日本人を観ていた。

君が喧嘩に手を貸せと命令した時、そして今後、君が誰かに殴られた時、心の中で号泣しながら、こう思っているんだよ「ごめんね、友達。俺の拳は昔、人を殺したんだ。あれから君と誓っただろ?もう二度と拳は使わないと。だから治療費と、あと、大きな声で助けを呼ぶよ。助けて〜!!」

これ格好悪くないのに。これを格好悪いって一杯宣伝してね。うまくやったよね。

先日の首相のテレビ演説の録画を何度も見返したがやはりポエムだった。

肝心な事は行使イコール戦後初の「報復される」という事実が発生するという事なのにね。

 

それを言わない。まぁ言いたくないよな。リアル怖過ぎてね。安倍さんは良いリーダーですよ。政権も安定してるし、閣僚も辞めてないし。落ち着いてる。だけど権力者としては恐ろしいヒトだと思う。

 

今の日本はヤンキー化しているという本を幾つか読んだ。

ヤンキー=ポエムだと思っている俺としては「ファミリー、夢、友達を守る」そして「絶対に」「永遠に」という言葉に多くの日本人(ヤンキー化した日本人)が共感というより、思考停止してしまう事を懸念する。

考える事はとっても面倒くさい事だから。できればしゃがみ込んで楽したい。誰かのデッカい声に乗っかってたい。

現代を生きる我々は疲れているからなのだ。

とってもデリケートなのだ。家族の事、友達関係、恋や将来の事、沢山の課題を抱えている。だから同じ課題を抱えている仲間と分かち合う時間は大切なのだ。だからこそ仲間のルールが絶対。一人目立つような行動は許されない。カテごとにルールがあるのだ。この大切にしたいけど息苦しく、ちょっと面倒な、だからポエム的な熱い言葉で思考停止にさせる、この感じ、ブラック企業の常套句みたいな空気が今の世論を形成している多数派、という見識者が増えて来ているようだ。

僕自身、集団的自衛権のこと、未だに良く分からない。

だけども、友軍の助太刀可能もええけども、報復されて、九州あたりに上陸されて市街戦ってね、賛成派は必ず、そんな極端な、と言うが、あり得るでしょう。

政治って、あり得るって事を想定して國を動かして行くもんでしょう。国民の財産と生命を守りたい!これってポエムよなぁ〜。もう政治をキャッチフレーズでやる流行はやめてほしい。安っぽいJ-POPのサビみたいなフレーズの連呼で重大な法案こっそり通さないで。

いよいよ報復される可能性のある國になる訳ですが、こんな大事なことを前に、こんな静で大丈夫なんだろうか。

賛成派にとってはめちゃくちゃラッキーだが。。

これって小泉さん時代から時間を掛けて国民を総ヤンキー化した大成果だったりして。

 

戦後70年、現状の法解釈の下、一発の銃弾も、命もとらず、失わずやって来たことを僕は個人的に再評価したくなります。

今回はまだ解釈の仕方の変化だけど、これで終わらないだろうなぁ。どこまで行くつもりかな、僕は今、疑念の目で政権を見てます。

 

 

 

 

えいえん解くちから

収穫を逃した果実が急速に朽ちてゆくように、日々は潮を逃せば加速して腐乱してゆく。

しかし潮目を見るのは簡単ではない。逃してばかり居る。

—————5%から8%———-10%へ———

「笑っていいとも」が終わる。

移動中の車内で目に入って来たのは盛大なフィナーレだったがテレビを持たない人、興味ない人にはどうでも良い局地的な『祭』である。

明日からの消費税増税を見込んでガソリンスタンドから量販店まで、銀行から駅の改札まで壮大な「祭」が発生した。

銀行ATMでは長蛇の行列。既に二つATMが空いてるのにスマホに夢中な女性は気がつかない。後方から怒声が飛ぶ

 

「前見ろや!どんくさいの!早よ行けや!」

キッと後ろを睨んで声の主を確認してから、じゃない。

反応だ。飛んで来る怒声に被せる感じで、

 

「は!?うっさいわクソじじい!だまれ!」

 

どちらもどっち。

「祭」に喧嘩は付き物。喧嘩は祭りの華という事で。

今日は至る所で「祭り」が開催されたことであろう。

のるかそるか、そんな雰囲気があった。

 

「水田を歩む クリアファイルから散った 真冬の譜面を追って」

 

二十代で逝った歌人、笹井宏之くんの歌だ。

 

良いモノは届いた瞬間、即、時が止まる。そしてゆっくり流れ出す。

人生の節目節目、誰かが仕組んだ「祭り」に乗せられながら人生の大切な時間はサラサラと指の間から零れ落ちる。

だから僕は良いモノに沢山触れてハっと息を止めたい。零れ落ちる砂時計を少しでもスローにしたい。

 

この歌人の一節であったり、草を挽く老婆のエクボでも良いし、洗濯物が思いのほか上手く畳めた事でも良い。

この世界で当たり前に生きるというのは事の他、大変なことだ。

当たり前というのは個人差があると思うが、ちゃんと睡眠がとれて、来月の不安がない程度に収入があって、涙が出そうな時は一人でも良いけれど、嵐が過ぎ去った後、笑い話に付き合ってくれる人が一人居てくれるとか、まぁまぁな健康と、なぁなぁな自分を叱咤できる別人格の自分を持てる程度という「当たり前に生きれる」というテイスト。

 

書いてみて思うのだが、それは贅沢なことだ、とも感じる程、なかなか大変だと思う。生きるのって。

 

袴田さんが完全に無罪になったら僕らの税金を投入して全力でフォローしてあげて欲しい。

多くの日本人が描く夢を手にして欲しいと思う。家を建て、縁があれば結婚し、将来に不安のない暮らしを。

無罪が成立すれば不当な拘禁に対して國から手当、一日2500円だったか?〜12500円まで出るらしい。

袴田さんの場合は2億くらいは行くはず。国民一人2円。こんなことしか出来ないですが是非貰って下さい。

 

組織ってどうしてこうも愚かで惨いのでしょう。

ブッダは仰った。

『孤独を好め。孤独を嫌い、群れる者は、木に群がる鳥のフンがやがては自らを腐らせ弱らせる事を知らぬ』

 

日本列島の「祭」は終わり、明日から8%の平常の朝を迎える。

この祭りの司祭は集めた浄財を適切に使っていただきたい。

社会保障は勿論だが、袴田さんのような堪え難い国家による拷問を受け続けた人や、原発で避難している方、特に、指定範囲外の自主避難と國が冷たく放り投げた方々は全くのノーマークであって、お父さんは福島に残って仕事、子供達、母は県外へ避難、その家族へ会いに行く交通費、せめて片道くらいでもフォローしてあげたら、と思う。

 

頭の良い政府は国難の時、定期的に「祭」を開催して来ますね。

今後も大きな祭りが用意されてますよ。増税10%祭りと東京五輪祭り。

わっしょいわっしょいも良いけれど、祭りの裏に隠したい舞台裏があること少し意識しておこうと思います。

 

「綿菓子であったことなど知る由もなく海岸に流れ着く棒」故 笹井宏之くん

 

 

橋下さんの話を聞いてきた。大義って何だろうの話

消費カロリーを数値化してくれるランニングマシンがジムにありまして、行ったら500キロカロリーを目標に走る訳ですが、今日ふと『500キロカロリーって食べ物で言うたら何だろう』と思い調べたら「照り焼きマックバーガー一個」って分かって何だか急に虚しくなりました。

500キロカロリーってまあまあなスピードで走って6キロから7キロ走らないと届きません。

それが照り焼き一個で無かったことになるなんてね。しかし、だからと言って今までの運動が無駄だったという訳でもないし、ハンバーガーにも罪はありません。

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「一体、いつまで謝ったらええの?」「もう十分謝ったやん」「お前が悪い、いやお前の方が悪い」

日韓関係が冷え込んでますがネットでは炎上してますね。

これまで靖国参拝も控え、謝罪もして来たけど効果が出ないからもうやめた。

これでは消費カロリーと照り焼きハンバーガーの攻防と同じですね。

なんかこう、最近感じるのは「謝り疲れた」40代、50代の気持ち、という感覚がありますね。

僕の世代は子供の頃からずっと日本の大人は中国、韓国に謝っている印象を持ってて、とても神経質にタブー化して気を使って接してるなというイメージがあります。でも、いつかは普通に付き合えるような日が来るんだろうと。

しかしながらそうはならなかった。

竹島に大統領が上陸し、慰安婦像も立てられた、そんなニュースを知って、上記の通り

「照り焼きハンバーガー500キロカロリーなん?!それ消費するのに七キロも走らないかんのかぁ、、もうええわ、、肥えてもええわ。面倒くさい」

という心境になった40、50代の日本人が多かったんじゃなかったかな。

 

だけどもね。甘いよ。

ハルノートを受け入れることは出来なかったかもしれないけれど、いたずらに戦線を拡大し、日本人を虫けらのように戦地に送り飢え死にさせて、市民の頭の上から爆弾落とされるなんて状況になっても戦争止めず、慰安婦の軍による強制連行はなかったかもしれないけど朝鮮の人も戦地に送り、中国ではズルズルと戦局を肥大させ、南京30万人虐殺はなかったかもしれないけど、重慶爆撃では沢山の民間人が日本人同様、ゴミのように焼かれた事に偽りはない訳です。

隣近所相手に戦争を始め、ハルノートでもって戦争を仕掛けて来た米英の作戦に敢えて挑んで(ハマったとは考えたくない)自爆した、その自滅的は責任は残念ながらどう転んでもウチにある。

戦争を生き残った人たちは罪の意識があったと思う。同時に生き残った不思議と感謝、悲しみも。

それを必死に働くことで埋めた。必死に働いて日本は金持ちになった。

その金を戦火で焼いてしまった国々に無償で渡して、彼らの国も豊かになっていった。

韓国、中国はその金が日本からのお金だって教えないって事を批判する人が多いが「何様」だと思う。情けない。

はっきり言いますが、戦争をやって負けるという事はそういう事だという事、忘れていませんか?と言いたい。

その辺り、抜けているユルい大人が増えて来てませんか。政治家も含め。

 

悲しいかな、戦争をおっぱじめ、負けるという事はそういう事なんです。

それが分かっているリアルタイムな先人たちはめちゃくちゃ働いたんじゃないですかね。

戦後の商社マンは世界中居ない場所がない、というくらいあらゆる場所で商いしていたってね。

竹島還せ、北方領土還せ、日本のものだ、火事場泥棒、と申しますが、悲しいかな、戦争ってそんなマナーのええもんじゃないです。

めちゃくちゃ犠牲者出す戦争やっといて終わったら元の状態で戻してって虫が良いと思います。

何もかも失ってもおかしくない、それが戦争をおっぱじめる、という事だし、そもそも戦争って自国の全国民の生命と財産、盟主たる王や、日本なら天皇、国家の主権と領土領海を担保に入れて一か八かの大ばくちをするってのが戦争ですよ。

その辺り、どう考えてんのかなぁ〜という発言をする人が増えて来たなぁと思うのです。

我が祖国はやってしまった。でもやってしまった罪の意識が反作用をお越し、バネになって企業戦士を育て、経済成長を呼び、豊かになった。

謝り疲れて、もうええやろ。なんぼ謝っても変わらんし、許してくれんのだったらこっちも好き勝手させてもらうわ、という気分も分かるが、残念だけど、たった一度、戦争をやってしまったという事は「謝り終わり」という事はない、と思うべきだし、そういう意識がない限りお隣の国は反応してくれないと思う。立場を変えて考えればそうでしょ?

慰安婦はなかったかもしれない、専門じゃないから分からないが決定的な資料が出てない限り、グレーだと思う、しかし、或る無しの話でしょうか?

お隣がめちゃくちゃ怒って、各国で告げ口外交したり、像を乱立させてるのって、日本人が「謝るのもうやめたいわ、もうええやろ」という雑な幕引きをやろうとしているのが伝わっているからじゃないでしょうかね。

謝罪も靖国も、竹島も北方領土も。。戦争せんかったら必要がなかったり全部手元にあったもの。

それくらい戦争するってことはリスクが膨大ってこと、もっと多くの日本人は理解した方が良い。

普通に生きたかった人、国の都合で紙切れ一枚で殺されたこと、本土爆撃でそれまでの家の歴史、家族、命を失ったことも含め「大義」って何やったんや、と問い続けてる間は日本は大丈夫と思ってる。そしてその責任は政治じゃなくて「世論」にあったこと、全日本人にあったことを想わなくてはならないだろう。

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「大義」

昨日、鶴見区に大阪維新の会のタウンミーティングがあって橋下、松井両氏が来るということで「大阪都構想」についてのレクチャーを受けて来た。

賛成反対は置いておいて、とにかくこの出直し市長選、これをやって何の意味があるのか。大義はない、と断言しても良いように感じる。

個人的見解だが、この六億の市民の税金を使っておっぱじまる選挙は大阪維新の会代表の橋下さんの「逆ギレと自己満」だと思っている。

この選挙で橋下さんが再選しても市議会の構成は変わらないのよ。

都構想を進める為に反対派を蹴散らすっていう選挙なら分かるよ。一か八か選挙に打って出て、市議会の勢力図が変わって維新が過半数取るならね選挙の意味もあるけど、この選挙、ホントに何もないけどどうすんだろう。。

だから「逆ギレと自己満」

頼みの公明も反対に回ってね、孤立を深める維新と他派。ニッチモサッチも行かなくなって「もうやめた!」でも俺には「民意という御旗、大義」がある!」それをお前らに見せてやる!っておっぱじまった選挙って無駄遣いだなぁって思わざるを得ない。

今のままの大阪市では駄目だと思っています。

時の時空間、WTCビル、様々な無駄な箱モノ、バカバカしい無駄遣い。

今のままじゃ駄目だと思うから都構想、っていうのは飛躍が凄いなぁと思うだけで、ちゃんと理解すれば橋下さんが急ぐ理由も分かるかと思い足を運んだタウンミーティングでした。今の、そしてこれまでの市役所は駄目だなぁ、という説明は上手かった。本当に駄目だって良く理解できた。橋下さん批判は上手いけど、やはり都構想になればこんなに素晴らしいっていうのがファンタジーでね、やはり躊躇はある。あるが、今のままでは駄目だ、市民として税金払うのが勿体ないとは思わされたし良く理解できた。

感想として一番記憶に残ったのは質疑応答の時、「都構想について質問或る方」と聞いてるの大半が自己主張で、しかも長い。。、せっかくの質問の時間なのに。

結構「座れ〜」とかヤジ飛んでた。

日本人の読解力は危機的状況にあるとリアルに思わされた。

———————————————————————「大義」は人数分ある———————————-

サムラ河内氏の名演技とペテンの「大義」は障害を持った人や被災地の人の支えになりたかったという事だと本人が言っていたが、バレなかったらどうなっていたのだろうか。あの人もバレて今は辛いだろうと思い同情もしていたのだが、どうも相当タフですね彼は。なかなか変わるのは難しい人ですね。

「大義」は欲望の隠れ蓑じゃない。

世の中「大義、大義」言い出したら喧嘩が増えますぜ。