ゆく河の流れは絶えずして
2020.07.15
SNSというのは河のようだ。
眺めているとどんどん更新されて押し流れていく。
自分が投稿した文字や写真や情報もどんどん押し流されていく。なかなかの無常観だ。
今週土曜、7月18日の20時から配信のライブであったり、8月8日の心斎橋アニマでのライブであったり、そういう届いて欲しい情報などは正しく目当ての人に届いているのかどうか。この不安感と諦め感は、つい鴨長明の「方丈記」の冒頭を思い出す。
〜ゆく河の流れは絶えずして しかも元の水にあらず〜
情報というのは元々が水物だ。長くとどまってくれるものじゃない。しかも関わる人が多ければ多いほど川幅は広がり濁り、手垢がつき、捻じ曲げられ、元の姿を失ってゆく。森友文書改ざんとか、レスラー花さんの件はその典型だろう。
しかし情報なんてものは、それが元々であろう。「ネットに書いてあった」っていう根拠は今や小学生にも通じない。
やはり我々は河の流れの中で生きているのだ。
ならば流れていこう。
一番低いとこをにあるは海だ。みんなそこへ向けて流れ込んでいくだけのことだ。行く先を知らない人々だけが情報の河の中で溺れているのだ。私は大丈夫だろうか。
結局、それが仏教の経典の中核にあるものだ。そのことを僧侶として今の言葉で表現したかった。長く重ねてきたものが言葉と音になったので上げます。聞いてみて下さい。
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