ムラオ<舞鶴編>最終章
2007.07.18
風がほとんど吹かない。
たまに吹いても尻切れ蜻蛉のように風はムラオの頬で止まった。
陽がグングン上昇して、足下から焦げてるような暑さだ。
水平線の彼方にタンカーが浮かび、入道雲が遠くの空に停滞している。
昼を過ぎてもムラサキは運転席から出てこない。
クーラーもないこの糞暑い車内で良く寝れるもんだ。
桃は昼までに5箱売れたがそれ以降は通りかかる車もほとんどなく、たまに海に行くのであろう麦わら帽子を被った近所の子供らが通り過ぎるくらいのもんで、実に暇そのものである。
ムラオは日陰を探した。
しかし太陽は真上、ここには陽を遮る木陰さえなく、ムラオは仕方なくトラックの裏側に座り込んで持参してきた小説を再び開いた。
何ページか読んだが、まったく面白くなかったのと、暑さ過ぎて汗が吹き出しすのとで、もう読書どころではなかったからトラックの中に入ろうとしたらムラサキは起きていて、何やらジッとフロントガラス越しの景色を凝視していたので
「大丈夫?」
とムラオはムラサキが死んでいるのかと思い声を掛けてみた。
「は?」
「い、、いや、死んじゃったかと思って。。」
ムラサキは運転席を起こしながら
「へへへ」
と笑った。
「ちょっと中で休んでもいい?」
「外の方がマシなんじゃないか?」
「いや、、なんかもう疲れたし」
「そやろ へへへ。まぁ ええわ。ほんなら儂、暫く留守にするけん、お前、中におってもええけど客来たら頼むで。寝たらアカンで」
そう言うとムラサキはドアを開け、「あ〜〜〜あ」と大きなアクビをした後、トイレで濡らして来たタオルを絞り、真っ黒に日焼けした顔を丁寧に拭くと「ほんなら頼むで」と言い残して国道を挟んだ向かいの街の中に消えていった。
向いの街といっても、海があり、トラックの置いてある広場があり、国道を挟んで山にへばり付くように立ち並ぶ家々である。
国道に面した一部に土産物屋と民宿が二つ並ぶだけで、あとは小さな民家が並んでいる。二本の細い階段はかなり上の方まで続いていて、その脇にも無数の路地が走っている様子で、狭い区域の中に民家が寄り添うように立ち並んでいる。
ムラサキはその階段の左側をゆっくり上がっていった所までは見えたが、その後は陰に隠れて見失ってしまった。
「どこぞ、知り合いの家でもあるんかの。。それとも山のてっぺんの灯台にでも行ったか」
などと推理している間にムラオは寝てしまった。
「おい」
ムラオは肩を揺らされ起こされた。
「あ!」
ムラサキが苦笑いしていた。
「ごめん、、」
「まぁ ええわ。客来たか?」
「、、、いや、来てない と思う」
ムラサキは吸っていたタバコを消してから
「まぁええわ。メシでも食いに行くか」
「どこへ?ここ何もないじゃん」
と言ってからムラオはもしかしたらムラサキの親戚か何かがここにあって、やっぱりさっき、そこに行っていたんだ、と思った。
きっと晩飯はその家で食べることになるのだろうと考えていたが、それは違った。
「隣街にドライブインがあるわ」
「あ、そうなん」
ムラサキはそう言うとトイレに行き、首に掛けていたタオルを蛇口で洗い絞ってから顔、腕、それから後ろを向いて、短パンをずらし、股を拭いているようだった。
「よっしゃ!いこか」
隣街と言っても30分も先の街で、確かにそれらしき飲食店もあったが、どれも民家が片手間でやってるような店でお世辞にも美味そうとは言えない感じだった。
その中の一件の店の前でトラックを止め、
「ここじゃ」
と指差したドライブインは、ドライブインの中のドライブインという佇まいといい、ホコリだらけのショーケースといい、全てが完璧な場末のドライブインだった。
店内は地元の客が数人、カウンターで珈琲を飲んでいた。
薄暗い店内にシャンデリアが悲し気だった。
「カレーふたつ」
「ちょ、、ちょっと!」
ムラサキが勝手に注文するもんだからムラオは慌てた。
「は?俺のじゃ」
「二つも食べるん?」
「へへへ」
ムラオはメニューを貰い、冷麺にするか定食系にするか迷ったが、結局サービス定食というものに決めた。
地元に幸が満載!というコピーに魅かれたから。
出て来たサービス定食はご飯、みそ汁、サラダ、さんま、海老フライと、なかなかのボリュームだった。
レジでムラサキがお金を払っている時、ひとりのカウンターの客が、
「あれ?やっぱそうや。お前元気やったか?」
ムラサキもその人に気付いているはずなのだが、一向に顔さえ見ない。ムラサキはさっそとレジを済ませてしまうと店を出てしまった。
「お、、おい!ちょ、、ちょっと」
「、、ほっとけ ほっとけ」
声を掛けて来た客と、ほかの客のやり取りを気にしながらムラオも外に出た。
ムラサキはソソクサとトラックに乗り込むとエンジンを掛けて
ムラオが乗るとすぐにトラックを出した。
もうとうに暮れた海沿いの国道を走る。
点在する民家の灯がオレンジ色に発光して遠くの漁り火にようだった。
重い沈黙が車内を支配する。
ムラオはさっきのやり取りが気にはなっていたが、聞けるような雰囲気でもなかったので黙って流れる夜の景色を見ていた。
窓から入ってくる潮風が心地良かった。
さっきの客はムラサキの知り合いだろうか。
年は60代半ばくらいだろうか、地元の人なんだろう。
他の客も恐らくムラサキを知っているのだろう。
ムラサキはそれを何故無視したのだろうか。
ムラサキはここで何をしたのだろうか。。
広場に戻るとムラサキはスグ寝てしまった。
車内は重苦しかったのでムラオは外に出て星を見上げた。
ふと、昼間ムラサキが登って行った階段が目に留まり、ムラオはまだ行ったことのない、その民家の群れの中を探検してみようか、と思い、国道を渡り掛けた瞬間、
「向こうには行くなよ」
とムラサキが運転席から言った。
「なんで?」
「うっさいわ」
「何なん??」
「うっさい ぼけ!客来るかもしれんじゃろ!店番しとけよ」
ムラオは無性に腹が立ったが、今、クチゴタエすれば殺されかねない雰囲気だったのでグッと堪えた。
トラックの荷台の底の方をまさぐり、腐りそうな桃を一つ手に取り、かじった。
深夜11時までに桃は何個か売れて、12時前にも何個か売れた。
以外と夜の方が売れるもんだなぁ、と思っているうちにムラオもトラックに寄りかかりながら眠ってしまった。
翌日もお客に起こされた。
「あの〜すんません」
と肩を叩かれ起こされ、その客は桃を10個も買って行ってくれた。
陽が昇っても相変わらずムラサキは起きて来なかった。
運転席の様子を伺いに行く気もなかったので、午前中のお客を手際良く捌いて、正午からは腐った桃の選別をして、痛んだ桃をどんどん海へ投げた。
中には大丈夫そう、と思われる桃も投げた。
昼を過ぎてから、ようやくムラサキは起きてきた。
「ほな 頼むで」
とムラサキは昨日と同じようにアノ階段を登っていった。
一体、どこに行ってるんだろう。。
詮索する間もなくスグに客が来た。
今日は桃が良く売れる。
---------------—-
次の日もムラサキはアノ階段を登っていった。
その次の日も。。
その間、ムラオは良く桃を売り、多くの桃を海へ投げ捨てた。
ムラオのシャツは桃の果汁と汗で妙な匂いになっていたが、日に日に慣れていった。
相変わらずムラサキは夕方に帰って来て、トイレで丁寧に体を拭いた。そして夜半過ぎには眠りについた。
その間もムラオは良く桃を売った。
--------------------
約束の一週間が過ぎようとしている。
ムラサキの一件も気になるところだが、もうここまで疲労が蓄積してくると、ただひたすら給料以外に楽しみを見出す気力もなかった。
満載だった桃もこの一週間で順調に売れて行き、残るはちょうど荷台を覆い尽くす15箱程度にまでなっていた。
まぁ、半分くらいは海へ捨てたんじゃないかとも思われるが、ムラサキはそんな事を気にする様子もなく、日に日に口数が減って行き、どことなく陰の濃度を増しているようであった。
明くる朝、
「おい」
「ん?」
荷台の整理をしていたムラオにムラサキが呼びかけた。
「あのな、今日までおつかれさん」
「ん?終わり?」
「あぁ、約束の一週間じゃ」
「あ、、そうか。でも。。ほら、桃、、まだ残ってるじゃん」
ムラサキは運転席から降りて来て、面倒くさそうに荷台の桃を見つめた。
その横顔はどことなく覇気がなく、以外に長い睫毛が余りに幼く見えてムラオは少し寂しい気持ちになった。
「ねえ、ムラサキはこれからどうするん?」
「は?俺か?さぁな まぁ適当にやるわ。そんで桃な、これ半額で売ったってくれやい。痛んだ奴もあるけん、それを捨てたら夕方までには終わるじゃろ。」
「出血大サービスじゃね〜」
ムラオが努めて明るく言うと
「へへへ」
とムラサキが笑った。
「ほんなら俺、爆裂眠いけん、すまんが少し寝るわ」
「ええ??また〜!もう昼やで〜」
とムラオは言ったがムラサキはそれには答えず無言のまま運転席に入ってしまった。
長い長過ぎる一週間が終わろうとしている。
そう思うだけでムラオは嬉しかった。
早く桃を売り切って家に帰りたかったが、あれから2時間、一台の車も通らない。
ムラオはアクビをしながら腐ってそうな桃を選別していた。
その時、ムラオは誰かに肩を叩かれ、振り返ると、大きな麦わら帽子を被ったとても美しい女性がそこに立っていて、穏やかな笑みを浮かべムラオに小さく会釈した。
ムラオも小さく会釈した。
淡い水色のワンピースから覗く彼女の足はとても白かった。
「あ、、、あの。。桃ですか??今なら出血大サービスで、な、、なんと!、、、」
と言い掛けた所で女性は手を振り、手に持ったメモをムラオに差し出した。その間も彼女はずっとおだやかに微笑んでいた。
<こんにちは。突然のお願いすみません。
彼にこの手紙を渡してくれませんか?>
唖の方なのだという事はムラオにもすぐ分かった。
ムラオは元気一杯で大きくオッケーサインを出し、その手紙を受け取った。
彼女が立ち去ろうとする前、ムラオは彼女を呼び止め、桃を一つ、もちろん一番奇麗な桃を彼女に渡した。
そして国道の左右を良く見て彼女を送り出した。
国道の向こう側、階段の手前で彼女はもう一度小さく会釈してから階段の上に消えて行った。
ムラオはしばらくそこに立ち尽くしたまま彼女が消えたであろう、その辺りを見ていた。
手にはムラサキに渡してくれと頼まれた手紙があった。
一体何の手紙だろう。。
詮索してる間に客が来た。
ワンボックスの学生が6人、サークル仲間でキャンプだろうか。
「すんませ〜ん 今行きま〜す!」
ムラオが走って行くとムラサキも運転席から出て来て、
「にいちゃん!良かったら全部持っていくか?へへへ」
「ええ??良いんすか!?」
「あぁ ええよ 持ってって」
「ありがとうございます!!」
浪人してるムラサキと同い年くらいの若者なんだろうが、ムラサキのゾンザイさのお陰で先ずタメには見えない。言葉数は少ないが、何故か説得力があるのはその横柄さのぜいなのかもしれない。
若者たちが桃の箱をトランクに詰めている間、ムラオはムラサキに
「ほんまにいいん??」
と聞いたが
「へへへ」
と言うばかりで。。
「ねぇ、、こんなんでほんまに僕の給料大丈夫なんじゃろうね?」
「心配すんな」
桃をトランクに詰め終わると若者たちはもう一度
「ありがとうございました!!」
と言って立ち去って行った。
荷台には桃の果汁が沈殿してるだけで、本当に全ての桃がなくなっていた。
桃の積んでないトラックは何故か奇妙な乗り物のように見えた。
「終わったね!」
「あぁ」
「あ!そうだ!」
と言って、ムラオはポケットからさっき女性から預かった手紙をムラサキに渡した。
ムラサキはそれを不思議そうな顔で受け取り、しばらく静かに読んでいるようだった。
読んでいる途中、ムラサキの目から涙が溢れてきた。
ムラオはここに居てはいけない、と思い、荷台に整理などする為に少し離れた場所に移った。
ムラサキは手紙を自分のポケットに入れた後、トイレに行って顔を洗ってムラオの所まで来て、
「ムラオ、ありがとうな」
「ん?い、、いや、俺何も。。ただ手紙預かったし」
「いや、まぁ この一週間ほんま助かったっちゅうことじゃ」
「ん、、うん」
ここ一週間毎日見た舞鶴の日没が、今日だけは格別に赤く大きく見えた。潮騒と海鳥が心地よく潮風に乗ってムラオの頬を撫でた。
「ねぇ、ムラサキ。さっきの女の人、すげー美人だったよ。
知り合い?」
ムラサキは運転席で金庫の清算をしながら答えた。
「昔の女じゃ。おい、ムラオ給料じゃ。お疲れさん」
そう言ってムラサキは手招きした。
ムラオが運転席に行くと、ムラサキは手づかみの一万円札の束をムラオの顔の前に持って来た。
「え??こんなに!」
「ん?多いか」
「あ!!ちょっと!!違う違う!!」
「へへへ お疲れ」
その時、ふぃに一陣の強い風が流れ、運転席に置いてあった金庫の中の数枚の一万円札が風に飛ばされ、さんざん桃を投げ入れた海側のアワダチ草の群生する中に舞い散っていった。
「あ!」
ムラオは叫んで数枚の一万円札を追ってアワダチ草の中に掛けて行った。
セイタカアワダチ草の群生する、その中で草に引っかかった数枚の一万円札を拾い集めた。
「あったか〜」
遠くでムラサキの声が聞こえた。
「ど〜や〜」
もい一度聞こえた。
ムラオはその中の一枚を自分のポケットに入れ、立ち上がり、
アワダチ草の群生するその中で
「何枚かは見つけた〜!」
と大きな声で伝えた。
「もうええで〜」
ムラサキが手招きしていた。
「うん」
探し当てた数枚の一万円札をムラサキに渡し、ムラオは給料を受け取った。
本当に約束通り、そこには10枚の一万円札の束があった。
ムラオのポケットにあの時忍ばせた一枚を足して11枚の一万円札が。
-------------------------–
夏休みが終わってもムラサキは学校に来なかった。
貰った給料でギターを買ってもムラサキは学校に戻って来てはくれなかった。
秋が過ぎ、冬が過ぎ、独学で始めたギターの腕前も上達して、ムラオは2年生になってバンドを組んだ。親友と呼べる人間にも恵まれ、イジメられなくなってもムラサキは来なかった。秋の学園祭で初めてライブをした時もムラサキは学校にいなかった。
3年生になり、そして、初めての恋の頃にはもうすっかりムラオの中からムラサキの存在は消えていた。
-------------------------------
あれから、もう20年が経つ。
僕はこの歳になっても相変わらずバンドをやってる。
あの日、アワダチ草の中に消えていった一万円札は、まだずっと
僕のポケットの中にある。
海沿いの何処かの国道、桃を積んだトラック、ムラサキと美しい女性、僕の中では彼らはずっとそこに居る。
ずっと変わらず、歳も取らず、ずっとずっと。
いつかもし、何処かの国道沿いで桃を売ってるムラサキに会ったら、いつで返せるように、今でも僕のポケットにはあの日の一万円札が入っている。
今でも、それから これからも。
終わり/ ムラオ <完>2007 7/18