おむかいのおじいさん
2014.07.5
ここに引っ越して来て6年が経った。
その間、色々あった。
結婚した。恐る恐る独立した仕事で何とか生きていけるメドがついた。すぐ近所で火事もあったし、妻とも喧嘩したり感謝したり。
雨が降る日も、焦がすような暑い日もあるし、陽は昇り続けて年をとった。
子供が生まれた。バンドが解散した。
病気になったり、酔って帰って来たり、愚痴を吐いたり、妬んだり、誰かと一緒になって喜んだり、我が身を振返って少し恥ずかしくなったり。
何にもなかったような6年のここでの日暮しであったようで、しかし今、あらためて振返るとそれなりに人間的な連続性のある毎日を送っていたのか、とも思う。
その我が家の日暮しを見続けていた人がもう地上にはいないのだと、思うと、やはり毎日毎日に色が在り、濃淡が有り、そして気配が在ったのだと有り難く思うのです。
僕ら家族の何気ない日暮しの連続を、毎日毎日向かいの開け放たれた土間の古びたソファに座って、冬は石油ストーブの前で、夏は氷水に足を浸け、ウチワであおぎながら、黙々と見送り続け、目が合うと会釈し続けた、本当に何気ない、終わりがないような当然の日常性で以て、僕らの暮らしに風景の一部として寄り添い続けて下さったお向かいのお爺さんが今日、亡くなられた。
仕事に行く時、帰宅した時、洗濯を干す時、洗濯を取り入れる時、ふと、窓を開けた時、カーテンを閉めた時、おじいさんは朝から晩まで向いの土間で淡々と生きてらした。
挨拶程度しか言葉交わすことはなかったが、路上を眺めるその佇まいと視線だけで優しさが滲み出るような人だった。
ここ最近は見掛けなかっくなって、少し前に介護の車で帰宅され、毎日介護入浴の車やヘルパーさんが来ていたので体の調子は良くないことは分かっていた。
とっても淋しいです。ここに引っ越して6年の間、毎日あったお爺さんの気配と視線と佇まい。
その気配と視線、当初は嫌でした。
毎日監視されてるようで。だけど、とうとう終わりました。
僕らはやはり限りある時間を生きているのだな。
自分だけじゃない。暮らしの中に溶け込んだ身近な誰かの時間にも限りがあって、それは不意に止まる。
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朝、葬儀社の車が長いこと止まっていたので間違いないと思い、もし間違えてたら大変な失礼だと覚悟しつつ、妻と子供とでお向かいさんを訪ね、仏前に手を合わせ、おじいさんのお顔、家族で拝ませていただきました。
実は最近知ったのだ。たまたま5時頃起きた日に知った。
いつも早朝からウチの前も含め、近所を掃き掃除して下さるお婆さん。
うちの前に落ちてるタバコの吸い殻などを丁寧に掃除して下さって。
やっと掃除のお礼言えた。
亡くなったお爺さんがこの機会を下さったのだ。本当に良かった。
お婆さん耳が遠いこと、知らなかったから今後話す時は大きな声で話しかけよう。
これから一人暮らしになるお婆さん。見掛けたら声を掛けよう。
名前も知らないし、家族構成も知らない、現に親戚の方たちは「どこのどなた?」と最初は怪訝な顔をされていたけど、おじいさんの死は二度と来ない。
「迷惑じゃないだろうか」「単なる向かいで、縁、薄いけど良いのだろうか」少し躊躇あったけど、お別れが出来て本当に良かった。おじいさんの死は二度とない。今日の内にお別れしなきゃ。お骨になった後では何かが遅い。
死者は色々なものを残して去ります。それを一つでも多く拾って自分に届けることも生きている、ということの表明じゃなかろうか。今日はそんなことを思いながら横になります。
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