アマチュアバンドです。
2013.03.28
僕は仕事の傍らバンドを組んでます。
正確に伝えるならばアマチュアバンドです。
アマチュアという定義には個人差があると思いますが、生活の基盤が仕事にある以上、最優先すべきが仕事である以上、バンドは優先順位の一番にはならないからアマチュアと自覚してやって来ました。気持ちはアマチュアじゃないとか、そういう事は一切排除しております。
勿論、ha-gakureを組んで約15年、人生の大半を捧げてやって来た時間の中には「勝負」した僅かな時間もありました。
しかし、バンドは共同作業でもありますし、経過する時間の中でメンバー個々に抱える背景というものの重さも変化してゆきます。
限界を見極める事もバンドとして大切な「責任」であると思っています。
重要な事は、岐路に立ったその時、『帰路を何処に設定するか』じゃないか。
ha-gakureは「アマチュア」という帰路を選び、願望が願望として妥協なき帰路として集約してゆく道を選択しました。
それから時が経ちました。
メンバーも随分変わって景色も変化してゆきました。
両足は「アマチュア」という土壌に置きながらもメンバーそれぞれに「思い描く姿」というのはあります。
「アマチュア」という僕の定義は「それで生活していない」という少々乱暴で大雑把な規格になる訳ですが、音楽を制作して聴いてもらう、というシンプルなループの中に長年身を置いていて今感じることは、バンドの「運営」と「作曲」というものの「質」をリンクさせることの何と難しいことか!という事に尽きます。
—————————-一息入れます——————————–
バンドの最重要課題は「作曲」です。
小説家だって映画だって、大工だって自分の腕に惚れ込み「ええもん」出来たからこそ「観てくれ!」という気持ちが付いてきます。
その想いを達成する為には「営業」「運営」に手を抜いては目的は達成されないでしょう。
これは僕を含めたアマチュアに良くある想いだと思うんですが「ええもん作ってれば誰かが何とかしてくれる」的な蜃気楼に身を投げ出して時間だけが経過してしまうという心の動き(怠慢)は僕の中にも色濃くあります。肝心な所で「仕事」を言い訳に使ってしまいます。だからアマチュアなんだと自覚しています。
——————————–雨が上がりました———————————–
体のどこかが「変」になったら、「あれ?」と思いつつも「まぁいいか」としばらくは見なかったフリをして過ごします。
これは「恐怖からのエスケープ」として通常、多くの場合にあり得る行動です。
そしていよいよ「変」または「痛み」という無視出来ない信号を通して始めて体調の悪さを「自覚」します。
次に来るのは「未来への不安」と「最悪の事態」です。
それでも病院に行って白黒ハッキリさせることから逃げる強者もいますが、だいたいの場合、病院に行って「客観的」に診断してもらいます。
病状がハッキリしたら治す為の「手段」を選択し決行します。
「自覚」と「決断」を無数に繰り返せるタフなバンドじゃないとアマチュアバンドはやってられない、という事を言いたいわけです。
だって懸命にバンドやっても給料も、手当も発生しない。むしろ仕事をキャンセルして音楽やらせて貰ってるからスタートからしてメンバーみんなマイナススタートです。
一体、何で「繋がるの」。人?音?可能性?ハート?
いかんせん目には見えない、手で触れない、味もない、匂いもないものを価値として共有し、際どいモノを手がかりに人間が複数寄って無形から有形を生み出そうと挑むのですから、ちょっとした事ですぐに「見えなく」なっちゃいます。「見えなく」なった途端やって来るのはアイツです「何の為にやってんだろ俺」
音楽で生活している人にはその人にしかわからない苦痛があります。音楽で生活できないけどやり続けようとする人にも独特の苦痛がありますね。
それが自己矛盾だろうと思いながら書いてます。
「いいもん作りたい」けど「向かう先が不明」というジレンマに嘔吐しそうになったバンドは沢山いると思います。
セールスが伸びない時代でもあります。
「いいもの作りたい」という欲求は根源的な所に由来しているので死守しなきゃいけない。
「向かう先」これはどうだろう。アマチュアバンドにもアマチュアなりに「向かう先」があるはずです。長年それを考えて来たわけです。
アマチュアである僕は自己矛盾は野ざらしにして「向かう先」の事ばかりに悶々としていましたが、最近いつも考えているのは「帰る先」のことです。
そもそも何処からやって来たんだっけか、その「自覚」と「決断」こそ今の自分に必要な「◯◯」だな、と思いつつ窓からの陽光を浴びております。
「◯◯」は僕だけの秘密にしておきます。
——————————-今日は静かな日です——————–
僕の仕事は僧侶です。
プライドを持ってやっています。
バンドはアマチュアですがプライドを持ってやっています。
仕事と音楽は両輪となっています。
其所にだけは何の矛盾もありません。
死産で生まれて来た赤ちゃんの葬儀の翌日、自死された方の葬儀を勤め、それぞれの親族の中に入って、怒り、哀しみ、喪失、希望、そしてまた怒り、哀しみ、喪失、希望、という出口のないドアを無限にも感じる長さと回数で開け閉めしている人々の背後に立っていると、上記に記したことなど、どうでも良くなって来ます。
濾過されて濾過されて濾過されまくって落ちて来た「欲求」だけに正直になれば全部大丈夫なんだと、これは自然の摂理としてそう思うのです。
アマチュアとかそんなことどうでも良くて、濾過されまくった純粋な「欲求」に会う為にバンドやってるんだと思いました。
書いてる内に意図してた結論とは違う結論に遭遇出来てとても良かったです。
個人的な事ですが何かの参考になれば幸いです。