未開封の爽健美茶と懲役 | ha-gakure

未開封の爽健美茶と懲役

2013.05.1


ちょっと前、早朝の仕事で車で移動中、京橋の裏道から奥に入った雑居ビル群の角の角、とにかく、ややこし気な一角に、自転車が倒れ、小太りの中年が倒れているのを見つけ、他に誰もいないので降りて行って大丈夫か、と聞いてみたが、本人は大丈夫と言うので、大丈夫なのか確信はないが、酒臭くもないのに目か完全に逝ってもうて、腰が抜けてるで、こりゃアレかな?と思いつつ、救急車呼ぼうか、と聞くと、頑として拒否するから、やっぱりアレだな、と思いつつ、俺なりの善意というか、気を利かせたつもりで、傍らに爽健美茶を置いて立ち去った訳である。 要するに虚ろな目で倒れてるおっさんをスルーですよ。

そして一時間後、気になり遠回りになるが、再度おっさんが倒れていた所に戻ると見事に救急車と警察が来ていて、そこには封の開けられてない爽健美茶と自転車が残されていた。

善かれと思って通報した人は勿論正解。
しかしおっさんには痛かったろうな。
それにつけても、アレコレ推測して結果おっさんの塩にも味噌にもならんかった俺はいったい何がしたかったのだろうか。

だいたいそんな人生を送っております。

結局、俺が買った爽健美茶は誰にも飲まれない宿命を背負い生産され、勿体ないことをやってしまった。警官やら救急隊が取り囲む中に坊さんが入って行って放置された爽健美茶をしれっと失敬する訳にもいかず。すんません爽健美茶。

世の中、難しいもんである。今頃おっさん懲役やな。

————————————————————–
人生はシンプルが良いに決まってる。

メリハリ重視で「有るとき、無いとき」で落差を付けつつ、節目節目では直感で選択してれば先ず間違いないとは思う。
それが出来れば世話ない。
「無私」「無心」これが出来んから困っとる。

俺が良い例です。上記のように俺なんて典型的。
「善かれとおもって」が前に出過ぎて反ってぐちゃぐちゃになったりする。

おっさん倒れてる→アカン→救急車!でええのに、いらん雑念入り込んで、結果スルーやないか。懲役より体が大事。そのくせ気になって後で現場に戻ってくるだろ。放火魔と同じ思考かよ、と心配になるわけ。

そんなエゴ丸出しの俺も、せめて死ぬ時くらいシンプルで死にたいわけよ。

なにかと終活とか、エンディングノートとか、世の中そんなビジネス造語が飛び交って死ぬギリギリまで何となくクリスタルに追い込まれて。

死っていうのは、本人よりむしろ家族や恋人に決意なり覚悟なりを強いるものだから、ハッキリ言うと死に行く俺にしたら「解放」でしかない。

本人にとっては迫りくる「死という未知なる恐怖」「先に逝くことの申し訳なさ」との戦いだけど、いよいよ臨終の刹那は、それはそれは気持ちの良い、安らかなものだと信じているの。

死を迎えてしまえば俺には明日は来ないから、あえて激しく言うと、一人孤独に腐り果てても俺としてはもう小さなこと、申し訳ないけどデッカい世界に行きます的な感覚だけど、だけどね、家族や恋人には明日は普通に来る。

遺体の処理もして、部屋も元に戻さなきゃいけない。
それだれでも大変なのに、さらに、遺言に『南極のオーロラの下で安らかに眠りたいから、南極に散骨してくれ』とか書き残した日には、家族は、姿なき俺に死して直、振り回される訳である。

うちの家族、南極なんて行ける予算もないし、寒いし、たぶん、ここで我慢してくれと北海道の海に散骨されるならまだマシ、下手したら「ここは大阪で一番オーロラに近い場所やで」って中之島のプラネタリウム付近に埋められそうやし、しかも「あんたの意に沿ってやれんかった」と自分を責めながら生きられた日にゃ俺も死にきれん訳よ。

死ぬ時くらい「ああして、こうして」とか言わずに野垂れ死ぬくらいが俺にはちょうど良いな、とGWにフワフワ考えとる訳です。

もちろん、あれですよ、身綺麗にね、飛ぶ鳥あとをにごさず、は最低限したいけどね。

世の中には様々な遺言があるね。
だいたい事務的なね、財産分与的なもんね。

俺がね感動したのは、寺の法座が年に何度もある訳ですが、欠かさず参って、布教師の最前列で法話をメモに取り続けるお爺さんが居られてね、ずっとですよ、何年も何年もね。

偉い人だな、と思っていて、先日うちの親父に「真面目で有難い人じゃね」 と言うと、「あの人のお父さんが死ぬ時、遺言で寺に参れ、聴聞せえよ、と言うちゃったんよ」という事であった。聴聞とは仏の話を聴け、という意味。

俺、感動したな。

遺言って、言付け、頼み事、じゃなくて「願い」だからこそ繋がってゆくもんで、「死んだらアアしてコウして」だったら済んだらお仕舞い。

生きるってことの本質はエゴだから死が有るんだと思うのですが、死して更にエゴを刺激させて、ビジネスに直結させてるのが見え隠れしてませんかエンディングノートとか、そんなソフトな横文字使っちゃってキャッチフレーズは綺麗だけどお金の匂いがぷんぷんしてるよ。みんな頑張って生きてるんだから最後くらい「そのまま」で逝かせてよって怒りも込めて思うわけ。

京橋で倒れてたおっさん、ありゃ完全にお薬かお注射の目だった。
救急車を頑なに拒むその「願い」を俺なり汲んだけれども、結局、おっさんが一番困る方向に時は流れてしまった。そして、おっさんの「願い」届かず通報した人は、「良かったね、おっさん、あぁええことしたなー俺」と喜んでいるかもしれない。

「願い」を伝える方も「願い」を受け取る方も嗚呼、難しいねー。

という事で、明日は京都でライブします。京都二条のグローリーです。グローリーさんの一周年です!haは20時くらいかと。詳しくはhttps://ha-gakure.net/?p=1722
『賽の行方ー声のような一周年ー
18:30スタート
前売2000円
出演/

白姉妹
日の毬
ピアノガール(VJと井上理绪奈)
ANYO
ha-gakure

宜しくお願いします!!