えいえん解くちから | ha-gakure

えいえん解くちから

2014.03.31


収穫を逃した果実が急速に朽ちてゆくように、日々は潮を逃せば加速して腐乱してゆく。

しかし潮目を見るのは簡単ではない。逃してばかり居る。

—————5%から8%———-10%へ———

「笑っていいとも」が終わる。

移動中の車内で目に入って来たのは盛大なフィナーレだったがテレビを持たない人、興味ない人にはどうでも良い局地的な『祭』である。

明日からの消費税増税を見込んでガソリンスタンドから量販店まで、銀行から駅の改札まで壮大な「祭」が発生した。

銀行ATMでは長蛇の行列。既に二つATMが空いてるのにスマホに夢中な女性は気がつかない。後方から怒声が飛ぶ

 

「前見ろや!どんくさいの!早よ行けや!」

キッと後ろを睨んで声の主を確認してから、じゃない。

反応だ。飛んで来る怒声に被せる感じで、

 

「は!?うっさいわクソじじい!だまれ!」

 

どちらもどっち。

「祭」に喧嘩は付き物。喧嘩は祭りの華という事で。

今日は至る所で「祭り」が開催されたことであろう。

のるかそるか、そんな雰囲気があった。

 

「水田を歩む クリアファイルから散った 真冬の譜面を追って」

 

二十代で逝った歌人、笹井宏之くんの歌だ。

 

良いモノは届いた瞬間、即、時が止まる。そしてゆっくり流れ出す。

人生の節目節目、誰かが仕組んだ「祭り」に乗せられながら人生の大切な時間はサラサラと指の間から零れ落ちる。

だから僕は良いモノに沢山触れてハっと息を止めたい。零れ落ちる砂時計を少しでもスローにしたい。

 

この歌人の一節であったり、草を挽く老婆のエクボでも良いし、洗濯物が思いのほか上手く畳めた事でも良い。

この世界で当たり前に生きるというのは事の他、大変なことだ。

当たり前というのは個人差があると思うが、ちゃんと睡眠がとれて、来月の不安がない程度に収入があって、涙が出そうな時は一人でも良いけれど、嵐が過ぎ去った後、笑い話に付き合ってくれる人が一人居てくれるとか、まぁまぁな健康と、なぁなぁな自分を叱咤できる別人格の自分を持てる程度という「当たり前に生きれる」というテイスト。

 

書いてみて思うのだが、それは贅沢なことだ、とも感じる程、なかなか大変だと思う。生きるのって。

 

袴田さんが完全に無罪になったら僕らの税金を投入して全力でフォローしてあげて欲しい。

多くの日本人が描く夢を手にして欲しいと思う。家を建て、縁があれば結婚し、将来に不安のない暮らしを。

無罪が成立すれば不当な拘禁に対して國から手当、一日2500円だったか?〜12500円まで出るらしい。

袴田さんの場合は2億くらいは行くはず。国民一人2円。こんなことしか出来ないですが是非貰って下さい。

 

組織ってどうしてこうも愚かで惨いのでしょう。

ブッダは仰った。

『孤独を好め。孤独を嫌い、群れる者は、木に群がる鳥のフンがやがては自らを腐らせ弱らせる事を知らぬ』

 

日本列島の「祭」は終わり、明日から8%の平常の朝を迎える。

この祭りの司祭は集めた浄財を適切に使っていただきたい。

社会保障は勿論だが、袴田さんのような堪え難い国家による拷問を受け続けた人や、原発で避難している方、特に、指定範囲外の自主避難と國が冷たく放り投げた方々は全くのノーマークであって、お父さんは福島に残って仕事、子供達、母は県外へ避難、その家族へ会いに行く交通費、せめて片道くらいでもフォローしてあげたら、と思う。

 

頭の良い政府は国難の時、定期的に「祭」を開催して来ますね。

今後も大きな祭りが用意されてますよ。増税10%祭りと東京五輪祭り。

わっしょいわっしょいも良いけれど、祭りの裏に隠したい舞台裏があること少し意識しておこうと思います。

 

「綿菓子であったことなど知る由もなく海岸に流れ着く棒」故 笹井宏之くん