地図から消された島 | ha-gakure

地図から消された島

2012.08.23


妻がマスコミで働いているので資料をずべて取り寄せてくれました。最近僕の心を揺さぶる領土問題や原発関連の各紙の記事です。



『民』という文字は「目に針を刺された状態」を示すそうです。
目に針を刺され正しくモノが見えない人々のことを「民」とした漢字の生みの親の中国人。まさに「天安門事件」(共産党独裁を打倒して民主化を求める運動)以降、中国人は目に針を刺された状態なのでしょうか。

我々日本人もお隣の韓国人も、とかく「領土」となると熱くなってしまい目に針が刺さって正しくモノが見えなくなりますね。

さて、お盆の仕事が落ち着いた後、広島の実家に帰り、今度は盆踊りの準備などをして来ました。


山間の小さな集落にある寺で盆の法要を勤めた後、境内で輪になって盆踊りです。普段静かな村にお囃子と太鼓が山々にこだまし、楽しそうなカラオケの歌声が響く中、金魚すくい、綿菓子、焼き鳥、ビール、かき氷、全て近所の方々がボランティアで出店され、料金も格安です。綿菓子は無料なので終始子供たちが長蛇の列を作っていました。良かったら是非遊びに来て下さい。毎年、短い法話をしているのですが、来年はフォークギター鳴らしながらラップ法話でもしようかと思っています。

さて、短い盆休みでしたが大阪の友人が訪ねて来てくれました。
どうやら里のお墓が広島らしく、うちまで足を伸ばしてくれました。都会育ちの彼女たちは、途方もない田舎に驚いていましたが、川に案内してあげると服のまま泳ぎ出しました。後先考えず今を存分に楽しむライフスタイルに触発され僕もザブーンと泳ぎました。プールと違ってやはりナチュラルな水は良いなぁと思ったのでした。そしてフェス慣れしている彼女たちの何とスマートなことかと感心した次第でした。

さて、皆さんは地図に乗っていない島の事をご存知でしたか?

勿論、今の話ではなく、戦前戦中のお話です。

広島県竹原、島々が入り組む瀬戸内海の一角、陸からは見えないその島影にその島はあります。
『大久野島』です。


この豊かな島で何が起こっていたのか、何故地図から消されたのか広島で育った人の多くが知っていると思います。もちろん僕も知ってはいましたが詳しくは知りませんでした。
この機会に行ってみようということになり、終戦記念日に合わせフェリーに乗って行って来ました。

この島では日本陸軍の指示の下、昭和4年から「毒ガス」が作られていました。

その事実は地図から島を削除するくらいですから完全に秘匿されていました。その事実が人々に知られるようになったのは1984年にマスコミが大々的に報道して以降です。
戦争が終わった後も政府が隠していたのは恐らく地元にも、そして使用の疑いが強い中国にも被害者がいたので、彼らが死亡してしまう前に表に出ると保証問題が出て来ます。それが主な原因だと思いますね。

作られていた毒ガスは、
◎インペリット「4種類」(毒剤が皮膚に付くと2〜3時間後に患部に水泡著しく、呼吸器を通して全身に損傷)
◎フェニールシアンアルシン(吸入すると血液中の酸素吸入機能が麻痺)s
◎青酸(強い中毒状態)
◎塩化アセトフェノン(肺組織の破壊後、致死)

今ではウサギが沢山繁殖し、観光地化されていますが、レンタルサイクルで島を巡ると、急に遺構が立ちはだかり、忘れ去れた戦争の記憶が生々しく眼前に迫って来ます。

更に近づいてみます。本当に重い空気でした。


首筋に八月の強烈な光を浴び、後ろを振り返ると瀬戸内の穏やかな海、何もかも美しいその風景の中に、日本人が忘れようとして忘れられない戦争という異物。高度経済成長の大波の中に埋没して行った赤茶けた記憶。
それがまるでバビロンの要塞となってこの穏やかな島に置き去りになっています。


当初、専門の工員がここの毒ガス工場で働いていましたが、貴重な研究者、また戦況の悪化によって次々に兵隊に取られてしまった為に、ついに地元竹原の子供達(女子中学生、男子中学生、漁師など)が徴用されました。
彼らは詳しい作業内容も知らないまま、危険な作業に当たる事になります。
皆、「お国の役に立てるなら」「高給」という事もあり、給料日の作業終わりのフェリーの中はとても賑やかだったといいます。

最初の内はしっかり防御した正規の工員が危険な仕事をして、子供たちは雑用だけだったのですが、少しづつ兵隊に取られ、また作業も大量生産が可能になり、複雑な仕事も減ったということで、ついに素人同然の地元民も毒ガス生産に関わるようになって行きます。彼らの多くは自分たちが国際法に触れるようなことをやり、非常に危険な事をやっているという自覚はあったようですが、愛国心なのか、軍への萎縮なのか、その時代に生きてみなければわかりませんが文句一つ言わず、率先して仕事をされたようです。

工員は防毒マスク、手袋、長靴などで完全に防御されていてもガスは隙間があれば何処からでも侵入してきます。製造工程全般で塩酸ガスで目をやられることが多く、工員待機所には専用の洗眼用具もありましたが、他人の力を借りないと一人では出来ない消毒手順だった為、風土なのか、また当時の教育なのか彼らの多くは気を使い、少々目が痛くても簡単な洗眼しかしなかったらしいのです。それが悲劇の始まりだったと言われています。やがて中毒者が急増してゆきました。

仕事は24時間、2交代制で昼夜行われました。特に夜勤では明け方に多くの人的ミスが起こり、多くの方が負傷しました。今も後遺症に悩む方々、そして若くして亡くなった人々、その死因は軍により伏せられたようです。
こんな時代なんて二度と嫌です。

領土を巡る問題は、とても丁寧な交渉と智慧、時間を掛け、自国の尊厳と他国への敬意を損なうことなく進めるべきで、やられたらやり返す、国交断行だ!などと叫ぶなど、まさに「眼に針が刺さった状態の民」です。
僕はね「民」という言葉が嫌いです。「国民とか」「民主」とか。「和民」は別に良いけど。

韓国、朝鮮、中国の国民が反日やる時に日の丸燃やしたり、踏んだりします。これは日本人はやりませんね。僕はそれが嬉しい。とっても嬉しい。

この島で作られた毒ガスは中国に送られました。相当な量だという話です。満州にロシアが侵入して来て関東軍は大陸から逃げ出します。その時に、証拠の隠滅の為に川に投げたり、土中に埋めたりしました。

その後、畑仕事をしていた人が毒ガスの缶を開けてしまい被毒したり、工事現場で被毒したり、奇形の魚が発生したり、とにかくあちらの方が反日という時のあの凄さは、嫌な気持ちになっていましたが、日本人もある程度理解しなきゃいけないな、と思った訳です。やはりこんなこと二度と嫌だ。

ーーーーー過去はやり直せません。しかし見直すことは出来ます。それが未来を創ることに最大の効果を発揮するのでしょ?ーーーーーーーー

島内の電力を此処でまかなっていたようです。本当に異様な雰囲気です。こんなに大きいのに対岸の広島側からは何も見えませんでした。うまく木々に隠れていました。本当に不気味でした。救いはウサギが一匹居たことですが、このウサギ、当時は実験用にされていました。今でも毒に汚染された地域がありそこは立ち入り禁止になっているようです。ウサギも眼が無かったの居たり。。廃墟とウサギ、、シュールでした。




工員達が降り立った船着き場の向かい、トンネルを抜けた先の発電所。


日本国としても「負の遺産」だからだろうか、基本守ろうという気持ちが薄い。至ところに落書き。。良くやるなぁ、、なんかそんな気持ちには成らない場所だと思うのだけど。想像力の欠落だね、関西学院大学とか書かない方が良いと思う。賢い学校なのに。。


最後に、この島には日露戦争前、対ロシア艦隊に備え、島の至ところに砲台が設置してありました。要するに、毒ガス施設と砲台の島です。まさに要塞そのものです。
本当に色んな施設が廃墟となり打ち捨ててあるのですが、その一つ、これは砲台の下にある兵員の仮眠室だったか、救護室だった洞穴のような廃墟ですが、ちょっと変でしたね、、オカルトなのか、物理的なことなのか、僕はどちらでも良いです。皆さんで判断して下さい。

こちら、普通にくっきり撮れてますね。


同じ場所にあるこちらの部屋だけ白いモヤが出て変でした。このモヤはカメラを向けている時点で出ていました。他にレンズを向けると何もありません。この穴だけ陽射しの光が失われ、モヤが立ち上り、過去の古い写真のようになってしまいます。何度も調整したり、撮り直したのですが駄目でした。こちらです。


言うときますが、この穴、上のくっきり撮れた穴と同じ場所ですよ。陽射しが強く照りつける明るい状態だったのですが、何ででしょう。

ここ以降、ちょっと寒気がしてました。島を出る時に、この島で亡くなった方々を思い浮かべ心を込めて手を合わせました。やっぱこんなことイケマせんね。ごめんなさい、と思いました。何故だろう。今は良い時代なんですよ、何だかんだ言ったって。官僚も政治家も戦後から今に至るまで戦争してないんだから。色々あるだろうけど、良くやってると思うよ僕はね。

目に針が刺さってありのままの姿が見えない人にならないように、原発で汚染され続けている国土、領土問題、雇用や格差、この国難の時だからこそ国民ではなく、人間として自分の目と自分の感性で生きていたと想いを新たにした終戦記念日でした。こんな過去とこんな島があったんだ、ってこと伝えたかったのです。読んでくれてありがとう。

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